
管理栄養士として栄養職員となり、ヘルスケアのベンチャー企業での勤務やフリーランスを経験したのち、食と健康を軸に事業を展開している板橋里麻さん。現在は株式会社たべかたの代表取締役として、法人を経営しています。板橋さんが立ち上げたブランド「DELIFAS!(デリファス)」やレシピ本の制作秘話、BtoBとBtoCでのサービス開発の難しさ、予防医療を広めるための工夫について伺い、事業成長のヒントを探ります。
目次
- 目次
- 食べたものが体を作る
- 2年間の栄養職員を経て上京
- フリーランスを経て、株式会社「たべかた」を起業
- 「たべかた」の事業はBtoBとBtoCの2本柱
- おいしく食べるファスティング「DELIFAS!」とは?
- 「たべかた」が目指す今後の姿
食べたものが体を作る
フードコンサル事業や、食べるファスティングサービスDELIFAS!(デリファス)などを展開する、株式会社「たべかた」の代表・板橋里麻(りま)さん。起業から10周年という節目を迎える2025年。起業に至るまでのお話、起業してから現在まで変わらない想いを伺いました。
将来の夢をパティシエから栄養士に変えた理由
冷凍食品やレトルト食品を使わず、いつも手作り料理を作ってくれる母の影響で、子どものころからいっしょに料理をする機会が多かった板橋里麻さん。自然と料理や食べることに興味を覚えましたが、なかでもいちばん興味を持っていたのがお菓子作りでした。そんな板橋さんの高校生のころの将来の夢はパティシエになること。

でも、高校3年生のときに選んだ進路は、栄養士の資格がとれる大学への進学でした。
「思春期を迎えて、にきびがたくさんできてしまって……。気になっていろいろ調べてみると、外側からじゃなくて、食べものなど体の内側からのケアが大事なことを知ったんです。
また、ちょうどそのころ、ゴールデンタイムのテレビ番組で栄養に関する情報番組を放映していて。自分が食べるものには『栄養素』があって、その栄養素が自分の体の中のどういうところに寄与しているのか、みたいな話がすごく面白いなと思ったんですよね。
そこで、パティシエや料理人ではなくて、深堀して栄養について学べる栄養士を志すようになりました」
大学卒業後は栄養職員に
晴れて栄養士の資格がとれる大学に進学した板橋里麻さん。大学卒業後の進路としては、病院勤務、食品メーカーの研究室や商品開発などの分野への就職が多かったそうです。そんななか、板橋さんは地元である岐阜県の奥飛騨地域での栄養職員という仕事を選びました。
栄養職員とは、学校給食の献立作成や調理、衛生管理、検食などを行うことが主な仕事。
「栄養職員になった理由は、子どもが好きだったのと、教育という分野に興味があったからです。仕事としては、やはり給食がメインでしたが、授業中や給食の時間などに、紙芝居などの教材を作って食育を行うことも。
当時勤めていた小学校では、5年生になると社会科の授業で戦後を学ぶ時間がありました。そこで、戦前・戦後・現在の給食を比べながら、『給食がどのように変わってきたのか』を伝えることもありました」
子どもたちといっしょに山登りやスキーといった課外活動に参加し、充実した毎日を送っていましたが、
「小学校横の教員住宅に住んでいたんですけど、僻地の小学校だったので、20代の遊びというものはほぼできなかったですね(笑)」。
2年間の栄養職員を経て上京
2年間、栄養職員として勤務したのちに、当時14%の合格率だった管理栄養士の試験に合格した板橋里麻さん。そのタイミングで岐阜県を離れ、上京を決意します。上京した理由は、世界を広げるために別の勉強をしたいという想いがあったから。
そこで、専門学校に通いながら、2006年に創業したヘルスケア関連のベンチャー企業A社に入社。学業と仕事を両立する二足の草鞋の生活をスタートさせます。
創業時のA社の事業は、管理栄養士と栄養指導が必要な人をマッチングして、予防医療の観点からカウンセリングを行うというもの。つまり、管理栄養士の活躍の場を作っていくことでした。当時、アメリカではヘルスケアのコンサルタントによるカウンセリングを行う会社は珍しくありませんでしたが、日本ではまだ存在していませんでした。
「新しい先進的なことをやれる会社、というところにも非常に興味があったのと、社長の女性がとってもかっこよくて、私にとって憧れの存在だったんです。なので、ここで働きながら自分の夢を追えたらいいなと思いました。その社長とは今でも仲良くさせていただいています。自分の人生の転機になったかたですね」
28歳でフリーランスとしての仕事をスタート
当時は、社長、スタッフ1名、板橋里麻さんの3人だけで会社の事業を展開していたため、ほぼすべての業務に関わる必要があったそう。
「企画もすべて自分たちで立案しなければならないし、ときにはHTML(※)も自分で書かないといけない。もちろん当時はHTMLの知識がなかったので、ネット検索でコードを探してきて、コピペして『これでいいのか?』って試行錯誤してやる、みたいな(笑)。
一方で、経理や請求書発行などの事務仕事も全部行っていたので、本当にいろいろ学ばせていただきましたね」
※HTML(Hyper Text Markup Language)……ウェブサイトのコンテンツの構造を作るために使うコード
約4年間A社で働いたのち、仕事を自分のペースで進めたり、コントロールしていきたいと考え、管理栄養士としてフリーランスの道を歩むことを決断した板橋里麻さん。
「フリーの管理栄養士として、レシピ開発やカウンセリング事業を行うことにしました。独立する際に不安はありましたが、挑戦したいという想いのほうが強くて。A社を卒業してからも、カウンセリング事業などは一部お手伝いさせていただいていたので、当時は『フリーでやっていけるのか』といったことは、あまり深く考えていなかったですね。食べられなくなったらバイトすればいいかなくらいの気持ちでした」
フリーランスを経て、株式会社「たべかた」を起業
約5年間のフリーランス時代に、結婚と出産を経験。産後4カ月で仕事に復帰し、お子さんが2歳になる2016年に、現在の「株式会社たべかた」を立ち上げた板橋里麻さん。フリーランスのままではなく、法人化した理由は大きく2つありました。

「ひとつは企業様との契約上、株式会社じゃないとお仕事ができないという理由。もうひとつは、A社の社長の想いを受け継いで、管理栄養士にしかできない仕事を事業化したいと思ったからです。
私自身も、管理栄養士としていろいろなことを学んできて、医療や健康にしっかりと寄与できる知識とスキルを身につけました。けれど、フリーランスを経て感じたことは、管理栄養士が活躍できる場所が世の中にあまりないということでした」
フリーランス時代は、食品メーカーなどのレシピ開発や、企業やクリニックでの特定保健指導を行っていた板橋さん。ただ、仕事があるときとないときの波が激しく、フリーランスで食べていける人は一握りだと感じていたといいます。
「管理栄養士がレシピを開発するのと、料理家さんがレシピを開発するのは何が違うのか? その違いを、企業さん側が認識されているかというと、必ずしも明確ではないことも多くて。
そのため、『管理栄養士である必要がない』と言われてしまうこともありました。そこで、管理栄養士にしかできない仕事って何だろう?とフリーランス時代に考えたんです。
結論としてたどり着いたのが、A社時代に行っていた、一人ひとりに最適な食べ方を提案するカウンセリング業務。これこそが、管理栄養士にしかできないことなんだろうな、と思ったんです」
ミッションは「食べもので生き方をつくる」
これまでに3000人以上をカウンセリングしてきた板橋里麻さん。そのなかで、食を改善していくことで体が変わり、「血圧下がったからマラソンに挑戦してみよう」とか、「やせたからメイクやファッションに挑戦していこう」など、生き方が前向きになっていくお客様の姿をたくさん見てきたそう。
「食の改善を通して、お客様の生活の質の向上に寄与できるのかもしれないと感じました。食を通じた予防医療を当たり前にしていくこと。健康寿命が延びるなかで、医療費削減という社会的価値を生み出すこと。そして、健康で長く生きられるかたが増えること。それらに貢献できるよう、目指しています」
「たべかた」の事業はBtoBとBtoCの2本柱
クリエイター
管理栄養士として小中学校の栄養職員となり、ヘルスケアのベンチャー企業の立ち上げやフリーランスを経て、2016年に株式会社たべかたを設立。「生きかたを、食べものでつくる」をミッションに掲げ、フードコンサル事業、食事のパーソナルカウンセリングのほか、“食べるファスティング”サービス『DELIFAS!』などを展開中。
編集・ライター。インテリア誌や生活情報誌の編集職を経て、40歳を過ぎてからフリーランスに。家事、収納、マネー、リノベーション、インテリア、料理など携わるジャンルは多岐に渡る。投げられた球はどんな変化球でもとりあえず打ち返すタイプ。