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料理&スタイリングの一人二役。八木佳奈さんが目指す仕事の形

料理&スタイリングの一人二役。八木佳奈さんが目指す仕事の形

八木 佳奈, 佐々木 紀子

料理のTV番組、本や雑誌などの撮影現場には、レシピを考えて料理を作る料理家、食器やテーブルまわりの小物を用意して演出するスタイリスト、撮影をするカメラマン(フォトグラファー)など、複数の職種のかたが関わっています。
そのなかでも、八木佳奈さんは特殊。料理家として料理提案・料理制作も行い、そのスタイリングも担当するという二刀流です。どちらかに専念するかたも多いなか、八木さんが現在の形を確立した経緯をお話いただきました。

目次

  • 会社員を経てフードコーディネーターに
  • 独立後は手探り状態で試行錯誤の連続
  • 料理とスタイリング、両方やるようになった理由とは?

会社員を経てフードコーディネーターに

料理が好きで栄養士の資格が取れる進路を選択

私の両親は、子どもが医療系の仕事に就くことを希望していて、姉妹みんな医療系に進んだんですよ。私は“病院で働く”っていうことがピンとこなかったんですけど、子どものころから料理は好きだったので、料理&病院ということで、「栄養士」の資格を取ろう、と。高校生のときに進路を決めて、短大で栄養士の免許を取りました。

お話してくれた八木佳奈さん。料理家でもあり、フードスタイリストでもあります

でも、病院で働こうと思うと、「管理栄養士」の免許じゃないと厳しいですね……。栄養士は最短2年で取れますが、管理栄養士は最短でも4年間勉強しないと試験を受けられないんですよ。私は、栄養士の資格は取っていたので、そこから実務を2年積めば管理栄養士試験の受験資格は取れたんですけど、結局、受験せずに食品会社に就職しました。

その食品会社では、商品開発の部署を希望していたんですが、事務職に配属になりました。定時に帰れるんですけど、お給料も安いし、仕事内容も自分の想像していたものとはかけ離れていて。就職してから3年が経ったころ、商品開発の部署への異動は叶わなさそうだなと思い、転職を決意しました。

会社員を辞めて美容師になろうとした!?

その当時興味があったのが、美容師だったんです(笑)。栄養士の資格を持っていても、就職には実質生かされなかったので、とにかく手に職をつけたかったんですよね。それで美容師になろうと思って、『ケイコとマナブ』(※1)を買って読んでいたら、初めてそこでフードコーディネーターという職業があることを知ったんです。「なんだこれ? こんな仕事あるんだ?」と、とても興味をひかれたんですけど、どうやったらなれるのかがわからなくて。

そこで、『ケイコとマナブ』にいくつかフードコーディネーターの学校が掲載されていたので、かたっぱしから学校の説明会に行って、「ここだ!」と思ったのが『祐成陽子クッキングアートセミナー』(※2)でした。平日のクラス以外にも、土曜クラスもあったので、働きながら通えるなと思って。でも、人気すぎて入校するのに半年待ちました。

(※1『ケイコとマナブ』……「習い事・スクール・通信講座」を探せる学び情報の総合雑誌として1990年に首都圏版を創刊。2004年にはスクールの情報収集や資料請求・予約ができるWebサイト「ケイコとマナブ.net」を提供開始。2016年に雑誌を休刊、Webサイト「ケイコとマナブ.net」も2020年に終了)

※2『祐成陽子クッキングアートセミナー』……開校より3000名以上のフードコーフードコーディネーターを輩出。フードコーディネーターの先駆けとして道を切り開いてきた祐成陽子〈すけなり ようこ〉が校長、娘の祐成二葉〈ふたば〉がメイン講師を務める学校)

身につく実践的な授業内容

『祐成陽子クッキングアートセミナー』で当時学んだのは、料理の盛りつけの仕方や、料理のスタイリング方法など。料理のスタイリングは、各料理に合わせて、器や下に敷くクロス、カトラリーやグラスなどの小物を用意して、料理を引き立てて世界観を作る仕事です。

『祐成陽子クッキングアートセミナー』のクラスの最後のほうの課程では、料理家、料理家のアシスタント、スタイリスト、スタイリストのアシスタントと役割を分けた4人一組になって、ひとつの作品を作るという実習がありました。

料理家が作った料理をスタイリストがスタイリングして撮影するという、実際の撮影現場を想定した内容。その実習のテーマが企業向け、雑誌向けなどに分けられて、さらに、エリンギやパプリカなど当時出始めた野菜を使ったものという縛りがあって、たとえば、パプリカを使った雑誌向けのレシピを考えるというものでした。

それを祐成先生にチェックしてもらって「これは普通すぎる」とか「逆に奇をてらいすぎてる」とか「余った無駄な部分はどうするの?」「雑誌じゃこういうのは通用しない」とかコメントをもらうんですが、かなり実践的な内容でしたね。

卒業後はアシスタントに就き修業の日々

卒業後は、祐成先生のアシスタントとして残る人もいます。ただ、アシスタントは空きが出ないと入れないので、私も卒業してから半年待ちました。「アシスタントになりたいです!」って先生に言い続けないと、アシスタントになれないし、それ以外に道がないので、卒業後は祐成先生の料理教室に通って、とにかく言い続けましたね。

そして、やっと空きが出て、めでたくアシスタントになれることになったので、そのタイミングで会社員を辞めました。

当時は、祐成先生1人に対してアシスタントが5人。祐成先生が自分で料理をしてスタイリングもするスタイルだったんですけど、私はアシスタントのなかでいちばん料理ができなかったので(笑)、スタイリングを主に担当していました。

祐成先生がリース屋でキープしていた器をピックアップしに行って、撮影のときに梱包をはがして、それを料理ごとに並べて。先生のスタイリングを間近で見ることができたので、とても勉強になりました。料理を担当していると、料理を作ることに集中するから、あんまりスタイリング小物って見る余裕がないんですよね。

私以外のアシスタントは、学生時代から『祐成陽子クッキングアートセミナー』に通っていた人もいたので、私より若かったり料理が得意だったり……。私はみんなより年齢を重ねていたし、料理も得意ではなかったんですけど、社会人を経験していたので、生徒さんや企業さんからかかってくる電話がとれたんですよ。そこだけは頼られましたね(笑)。

アシスタントを1年7カ月勤めてから、独立しました。独立する人には料理家になる人もいれば、スタイリストになる人もいるんですけど、私はアシスタントをやっているうちに、料理制作よりスタイリングが好きだなって思ってきて。料理ができなかったというのもあるんですけど(笑)。

祐成先生は、自分で料理もするしスタイリングもされるかただったので、スタイリング専門のほかのスタイリストのかたのもとで再度修行したほうがいいかなと思って、独立前に校長先生に相談したんです。そしたら、「何いっているの、うちで勉強したんだからそんな必要ないわよ。すぐに独立しなさい」っていわれて、私も「そういうものなのかな?」って思って素直に独立しました。

独立後は手探り状態で試行錯誤の連続

コネがなかったので自ら雑誌編集部に売り込みに

いざ、独立するといっても、祐成先生から出版社を紹介してもらえるわけではなかったので、自分でスタイリング作品集のブック(ポートフォリオ)を作って、「この雑誌でやりたい」と思う編集部に連絡をして、アポイントを取るっていう営業をしました。営業の電話ってすごく緊張するので、電話する前に全部言うことを書き起こして……二度としたくないですね(笑)。

たまに「作品ブックだけ送ってください」といわれることもありましたけど、当時はほとんどみなさん会ってくださいました。でも、その作品ブックを見た編集者のかたからは、こてんぱんにいわれましたね……。「これはだれに向けて作っている作品なの?」「うちの読者層にこのスタイリングが合うと思う?」などなど。私、全然そんなこと考えずに、作品ブック作って持って行っていたんですよね。

そんなふうに、いろんな編集者さんからいただいたダメ出しを次に生かして、次に生かしてって感じでブラッシュアップしていって、最後に営業に行ったのがオレンジページでした。いままでダメ出ししかいわれてこなかったので覚悟して挑んだんですが、見てくれた編集者さんが本当にやさしくて……。作品ブック見ながら、ずっと「かわいい」っていってくださったんですよね。その場だけほめてくれたのかな?って思っていたら、すぐにスタイリングでお声がけいただけて本当にうれしかったです。

オレンジページでの初仕事はカレー企画

この営業でお仕事をくださったのは、雑誌『non-no』と『オレンジページ』でした。『オレンジページ』での初仕事はスープカレーの企画だったんですけど、今でもコンテ(手書きの構成内容)とポラロイド写真は保管しています。

八木佳奈さんが『オレンジページ』で初めてスタイリストデビューをした、「スープカレー」企画のコンテとポラロイド写真。2004年のことでした

2回目がいちごの企画だったんですけど、編集者さんから、プロセスカットの背景は「デコラ(※)でいいよ」っていわれたんですね。でも、当時の私は「デコラ」の意味がわからなくて……。編集者さんに聞けばよかったんですけど、わからないまま白いタイルの板を用意しちゃって。デコラはカメラマンさんが持参されることが多いので、特別な費用がかからないんですよね。

(※デコラ…メラミン樹脂を塗った白い化粧板。デコラ板、メラミン化粧板などとも呼ばれる)

現場で「デコラでよかったのに~」っていわれたので、「すみません、タイル借りちゃいました」って謝ったら、「じゃあこれで撮りましょう」と、そのときは事なきを得たんですが、知らないことや疑問に思ったことは聞かなきゃだめだなって反省しました。

デコラを知らず、白いタイルの板で撮影に挑んだ『オレンジページ』(2005年3月2日号 )の「フレッシュなおいしさ いちごのぷるぷるおやつ」の企画

『オレンジページ』では、スタイリストとしてスタートしましたが、ほかの雑誌の場合は、料理とスタイリングを一人で担当させていただくこともありました。雑誌によって任せていただける仕事の内容は違いますね。仕事をしながら勉強させてもらっている感じでした。
先輩に「狭い世界だから5年やればみんな知り合いみたいになるよ」っていわれたので、絶対に5年は何があっても諦めないでやってやるぞって気持ちでがんばっていましたね。

料理とスタイリング、両方やるようになった理由とは?

クリエイター

短期大学の栄養科を卒業後、 食品会社に勤務しながらフードコーディネーター養成学校に通い、同校講師を経て独立。書籍・雑誌や広告でスタイリストとして活躍するかたわら、料理家としての活動も。2人の娘のためのごはんや手作りおやつを紹介するブログ『お祝いご飯』も人気。

編集・ライター。インテリア誌や生活情報誌の編集職を経て、40歳を過ぎてからフリーランスに。家事、収納、マネー、リノベーション、インテリア、料理など携わるジャンルは多岐に渡る。投げられた球はどんな変化球でもとりあえず打ち返すタイプ。

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