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ファッション界から転身。金子文恵さんが思う「料理のデザイン」とは

ファッション界から転身。金子文恵さんが思う「料理のデザイン」とは

金子 文恵, 唐澤 理恵

元ファッションデザイナーで、料理家の金子文恵さん。転身当初は元デザイナーとして、何より「見た目のおしゃれさ」にこだわっていたそう。しかし、さまざまな経験を重ねたことで、現在では「デザイン」をより広義的に捉えています。
見た目だけでなく、食材の切り方や組み合わせ、食べやすさなどの機能性も含めて「料理のデザイン」であり、「人のためになる料理を提案していくのが料理家」と思うように。その考えに至った背景をお伺いしました。

目次

  • ファッションで夢をかなえ、料理の道へ進むまで
  • 右も左もわからず、ワクワク感だけが原動力。それでもご縁がつながった
  • 誰でも〈人の役に立つ〉アイデアを持っているはず

ファッションで夢をかなえ、料理の道へ進むまで

“おひとりさまレシピ”から、遠距離介護で生まれた“冷凍おかず”も

数々のメディアでレシピ提供や料理連載を行い、これまでに出した書籍は4冊。料理教室〈ふみえ食堂 cooking workshop〉を主宰し、パーティやファッション誌の撮影現場などでのケータリングも評判の料理家・金子文恵さん。

料理家の金子文恵さん

SNSでは、身近な食材で簡単に作れるおしゃれなレシピを紹介するほか、一人暮らしにうれしい〈おひとりさまの朝ごはん〉シリーズ、架空のパートナーに料理を作る設定の〈妄想彼氏料理帖〉シリーズなど、さまざまなシーンを想定した料理を発信しています。

Instagramではおいしそうな投稿がずらり。レシピだけでなく、保存期間や食べ方アイディアなどを補足するのも欠かしません
金子文恵さんの等身大のコメントも、作ってみたくなる理由の一つ

自身の遠距離介護の経験から生まれた冷凍おかずのレシピは、料理好きのみならず、介護に悩む人からも大きな反響が。さらに、年に数回開催されるリアルイベント〈ふみえ食堂〉では、自らホストとなってお客さまをおもてなし。多彩な活動で独自の道を歩む金子さんの姿に、大いに刺激を受ける料理家志望の人は多いはず。

じつは金子文恵さん、料理家歴はまだ10数年(2023年現在)。ファッションデザイナーから料理家に転身したという異色の経歴の持ち主です。縁もゆかりもない業界にどうやって転身したの? 本を出すきっかけは? 気になるキャリアについて、じっくりお話を伺いました。

取材は金子さんが暮らすヴィンテージマンションにて

〈同じ釜の飯を食う〉楽しさを、仕事でも。そう考えて料理家を目指す

北海道・札幌に生まれ育ち、外で遊ぶのに夢中でお手伝いなどしない子ども時代。ところが母が早くに他界したため、必然的に中学生時代から料理本を片手に家族のためにごはんを作るように。すると、料理を作る楽しさにどんどん引き込まれていきます。

また、大のファッション好きなティーンだった金子文恵さん。
「とにかく『おしゃれが好き!』という理由で、服をデザインする人になりたかったんです。髙田賢三さんや山本耀司さんなど、当時雑誌に出てくる有名デザイナーの多くが文化服装学院出身。ファッションデザイナーになるなら文化しかないと思って進学し、アパレルデザインを学んで、卒業後はアパレル企業のデザイナーとして働きました」

金子さんが愛用してきた料理本の数々。元デザイナーでもあるこぐれひでこさんの本は「料理への愛を感じます」

「好きでファッションデザイナーをしていたけれど、洋服って手に取ってくれる人との距離がちょっと〈遠い〉んです。企業のデザイナーだったので、買ってくれる人と直接話すことも、自分でデザインした服を着た人を見かけることもそうそうない。でも家に人を呼んで料理をするとみんなが喜んでくれて、『〈食〉ってこんなにコミュニケーションが広がるんだ』というのをすごく感じたんですね。

〈同じ釜の飯を食う〉じゃないですけど、やっぱり大勢で食卓を囲むと楽しい。洋服も人をハッピーにする力があるけれど、胃袋のほうがより直接的だなって(笑)。結局アパレル業界には20年ほどいましたが、30代後半のころには、『いつか料理を仕事にしたい』と友人たちに話すようになっていました」

20年続けた仕事をすっぱり辞め、異業種に転職するには相当な覚悟がいるはず……と思いきや、「みなさんそうおっしゃるんですけど、そうでもなかったんです」と金子文恵さん。

「最後にいた会社の人間関係に疲れていたこともあって、とにかく新しいことをやりたい気持ちが大きくて。とはいえ退職してからも、元いた会社の取引先だった企業と顧問契約を結んで、アクセサリーやベルトのデザインを続けていました。最初はその仕事をしながら、料理の業界での活動をスタートさせました」

年に数回開催するイベント〈ふみえ食堂〉の風景。金子さんの原点である〈みんなで同じ釜の飯を食う〉楽しさがここにも

右も左もわからず、ワクワク感だけが原動力。それでもご縁がつながった

経験もツテもない。「とにかく何かしないと」と、ブログと料理教室をスタート

金子文恵さんがまず設定した夢は〈料理家になって本を出す〉こと。でも〈活動をスタート〉といっても、いったい何から? 直面したのは、異業種転職組の多くがぶつかる最初のハードルでした。

「ツテもないですし、だれかに弟子入りするとしても、その方法がわからない。それでブログを始めました。当時は今みたいにFacebookもInstagramもなくて、何かを発信したり、だれかと交流したりするツールはブログだったんです。始めてみると、少しずつ読者のかたがついてくれました。

あとは、料理ブログのポータルサイトの〈レシピブログ〉さんが主催する料理写真教室に行ったことがきっかけで、徐々に料理業界の知り合いが増えていきました。教室でお会いしたカメラマンのかたの写真展に伺ったら、編集者やデザイン会社のかたがいらしていて、名刺を交換したり、いっしょに飲みに行ったり。

最初の3年くらいは、『何でもいいから足がかりを作らないと』と、いろんなところに顔を出していた感じ。そのころはまだ、自分のことを料理家とは名乗れませんでした」

→レシピブログ

記念すべきブログの初投稿は2010年4月。その日作ったランチのことが、親しみやすい文章でつづられています

当時は、いまの有名インスタグラマーのように、料理ブロガーの存在感が増していたころ。ブログがきっかけでメディアに出たり、本を出したりする人気ブロガーが次々登場していました。

「料理研究家のヤミーさんもそのひとり。初めてお会いしたのは、東北の震災ボランティアの現場でした。その後、彼女のアシスタントさんが体調不良になり、SNSで『明日の撮影がピンチ! だれか代わりに来られる人いますか?』と書き込みがあったので、『じゃあ私やります!』と手を挙げて。それからときどきアシスタントをさせていただくようになりました。

ストウブ鍋の料理で知られる、料理家の大橋由香さんも元々ブロガーで、ブログを通じて知り合いました。彼女も本を出すなど活躍していたので、相談に乗ってもらって。二人とも今では友達として仲良くさせてもらっていますが、彼女たちの話を聞けたのもよかったですね」

そうこうするうち、なんとデザイナーとして契約していた会社が倒産。ともすると不安になりそうなところ、「『これは料理の道へ進みなさい、ということだ』と思い込んじゃって」と笑う金子さん。

「実績は自分で作ろうと、自宅で料理教室を始めることにしました。ブログで集客しましたが、最初の生徒さんはほぼ知り合い。それでも新しいことに対するワクワク感しかありませんでした」
飲食店でアルバイトをしながらでしたが、ここから〈料理家〉としてのキャリアが始まります。

親しい友人でもある料理研究家のヤミーさん。2023年の元旦に会ったとき、ヤミーさんからもらったおみくじがなんと〈大大吉〉! お守り替わりに飾っているそう

外部から声がかかり、念願の料理本出版へ! でも……

クリエイター

レシピ制作、料理教室、ケータリングなど多方面で活躍中。ファッションデザイナー時代に趣味が高じて、ファッションよりも料理で人を喜ばせたい!と思うようになり、料理家に。「食べることは生きること」をモットーに、料理にデザインを取り入れ、手軽なひとりごはんや、冷凍おかずなどを提案している。

フリーライター。東京・多摩で生まれ育ち、百貨店、出版社勤務を経てフリーランスに。日本各地の店舗や生産者のもとを訪ね、食の媒体を中心に執筆。趣味の飲み歩きが高じ、ライターのかたわら、日本酒やビール、ワインを扱う酒販店にも勤務。

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