手軽で作りやすい家庭料理やスイーツのレシピまで幅広く手がけている、フードコーディネーター・みなくちなほこさん。みなくちさんといえば、アウトドアの知識が豊富であり、自他ともに認める「道具好き」。アウトドアに「ハマった」のではなく、幼少期のころから「日常の一部」として当たり前の存在だったそう。現在のみなくちさんの活動や、料理に対する独自の視点に大きく影響を与えた「アウトドア」について語っていただきました。
目次
- 幼いころから身近で「当たり前だった」アウトドア料理
- アウトドアをきっかけに始まったフードコーディネーターの仕事
幼いころから身近で「当たり前だった」アウトドア料理
小学生のころから飯ごうでごはんを炊いていた
「アウトドアにハマっているというわけじゃないんです。小さいころから当たり前のようにやってきたことなので、『ハマっている』という感覚はなくて。おいしいものを食べるための手段のひとつであって、特にアウトドアにこだわっているわけでもないんですよ」と、笑いながら話すみなくちさん。
「アウトドア料理についての思いを聞かせてほしい」というこちらに対し、「まずは」という前提のこととして教えてくれました。
アウトドア料理に関する著書が多いものの、その活動は幅広く、家庭料理からスイーツまでさまざまなジャンルの料理を手がけるフードコーディネーターとして活躍しています。みなくちさんにとって、アウトドア料理はあくまでも「おいしい料理を作るため」の手段の一つ。ただ、ほかの人よりも早く、長くアウトドアに関わっているということなのです。
その関わりの早さを聞いてみると「ものごころついたころから」キャンプに行っていたと振り返ります。
「両親がキャンプ好きだったので、夏休みや連休があると、必ず車でどこかへいってテントに泊まっていました。それが当たり前の家庭だったので、自然とアウトドア料理もしていて。小学生のころには、一人で飯ごうを使ってご飯を炊けるようになっていたと思います」
その生活は、高校生までずっと続いていたということから、生活のなかに自然とアウトドア料理が入り込んでいた様子がうかがえます。ただ、そのあとはいったん離れることに。
「高校生まではノルマのように家族の行事としてやっていたけれど、その後はやらなくなったんです。『もうやんない』って思ってたくらい。それが、社会人になってからだったか、友人とキャンプに行こうという話になって。またアウトドア料理をしてみて初めて『楽しい』と思えたんです。10年くらいブランクがあったと思うんですが、道具も買い揃えてみたらいろいろ便利になってたしね」
子どものころは行き先もメニューも両親が決め、いっしょに料理をするという流れ。しかし、大人になってみたら、すべてを自由にやっていい。好きな場所で、好きなものを、好きなように料理して食べるということが、楽しさとしてじわじわとみなくちさんの体に染み込んでいったのです。
「キャンプに行き始めたら、すぐに料理のやり方を思い出せたし、できることも人より多いくて、得意なことなんだと気づきました。『楽しい』と思えたら、そこからはどんどん友人や夫と行くように。ゴムボートを持っていって釣りをしたり、犬といっしょに行って楽しんだりとアウトドアで過ごす時間が増えていったんです」
祖母の家での料理もまた、アウトドア的なものだった
アウトドアでの料理の仕方が身についているからといって、楽しいと思える人ばかりではないはずです。そもそも、みなくちさんは、幼いころから料理をするのも見るのも好きだったそう。その原体験は、祖母の料理でした。
「祖母の家は古い家だったので、外に『おくどさん』と呼ばれる煮炊きできる釜があったんです。薪を使ってやってたと思います。とれたてのとうもろこしを蒸したり、もち米を蒸して餅つきをしたり。井戸もあったので、たくさんとれたきゅうりやトマトを冷やしておいて、おなかがすいたらかぶりついたり。
そうやって食べるものって、なんだかすごくおいしいじゃないですか。おいしいものを食べたいから、おくどさんでの作業を手伝うようになったんだと思います。祖母がそこであれこれ料理する姿を見るのも、すごく好きだったなぁ」と愛おしそうに話しているうちに、ハッと気づいて「やだー、よく考えたらアウトドア料理みたいなものですね。外でやってたことだから。屋根がないほうが好きだったんですよ」と笑います。
家族とのキャンプや祖母の家での料理を通して、自然とアウトドア料理に触れていたみなくちさんにとって、冒頭の言葉通り、アウトドア料理は「ハマる」のではなく「当たり前のこと」だったのです。
さらに「そういえば、お弁当は自分で詰めていたんですよ」と続けます。
「母が作ってくれるお弁当の見た目が、どうにもしっくりこなくて。『私だったらこう詰めるのに』って子ども心に思っていたので、自分でやるようになりました。朝、私のお弁当のおかずがお皿に盛ってあるので、好きな見た目になるように工夫して詰めていたのを覚えています。うるさい子どもだったと思いますよ(笑)」。そんな盛りつけへのこだわりは、フードコーディネーターとしての始まりだったのかもしれません。
アウトドアをきっかけに始まったフードコーディネーターの仕事
企業の「モヤモヤ」をいっしょに考え、解決していく
やがてアパレル会社に就職したものの、次第に「料理の仕事をしたい」と考えるようになっていきます。
クリエイター
キッチンスタジオ兼ギャラリー「Kitchen BOTAN(キッチンボタン)」主宰。幼少期から培ってきたアウトドアの知識を活かした料理から、手軽で作りやすい家庭料理やスイーツのレシピまで幅広く手がけている。雑誌や書籍のほか、アウトドアなどの企業でのレシピ提案、さらには鉄作家・槇塚 登氏とのフライパンなどの道具のプロデュースも行う。自他ともに認める「道具好き」で、愛ある厳しい審美眼に信頼を寄せる人が続出している。
フリーライター。出版社オレンジページに入社し、生活情報誌『オレンジページ』『オレンジページ インテリア』の編集を担当したのち、フリーランスに。暮らしやインテリア、カルチャーを中心に、雑誌や書籍、WEBで執筆・編集を行う。