「カレー細胞」という名で、テレビ出演やWebでの連載、イベント運営など多岐にわたる活動でカレーにまつわる情報を発信している、カレーキュレーター・松 宏彰(まつ ひろあき)さん。もともとクリエイターとしてCM制作の第一線で活躍しながらも、趣味のカレー食べ歩きで訪れたお店はなんと4000軒以上。
いま海外からも注目度が高い「日本のカレーカルチャー」をさらに盛り上げるべく、さまざまな仕掛けを成功させてきた松さん。その背景には飽くなき探求心や、広告のプロならではの視点とセンスがありました。
目次
- CM制作会社勤務から「カレーキュレーター」に転身
- カレーは国境も文化も軽々と超える唯一無二の食ジャンル
- さまざまな活動を通して日本のカレーカルチャーを発信
- あらゆる立場の人がどう感じるかを意識した前向きな発信を
CM制作会社勤務から「カレーキュレーター」に転身
「松 宏彰」と検索すると、「CMディレクター」「広告プランナー」「映像監督」そして「カレーキュレーター」、さらには「珍生物マニア」、「妖怪研究家」など、まったくジャンルの異なる肩書きがヒットします。しかもどの業界でも第一線でご活躍の模様。松 宏彰(まつ ひろあき)さん、一体何者なのでしょう……?
CM制作会社では「何か新しいことをやる担当」
「1992年に上京し、当時いちばんかっこいいと言われていたCM制作会社に新卒で入社しました。ところが、この年はバブルがはじけたタイミング。CMが激減するなかで、若手はいわゆるCM以外の『何か新しいことをやる担当』を任されたんです。当時まだ主流ではなかったウェブ広告などですね。前例のないものはクライアントからお金が出ないので、広告費ゼロで取り組むこともありました」
松さんは笑いながら会社員時代を振り返ります。
利益が出ないぶん、賞を取ることで会社や業界にアピール。実際にウェブ広告では2002年カンヌ国際広告祭においてアジア初となるサイバー部門金賞を、さらに、2003年には三大広告賞のひとつであるニューヨーク『The One Show』で金賞を受賞するなど、数々の受賞歴を誇ります。
「アイディアはいくらでも湧くタイプなので、とにかくいろいろやっていましたね。VR、3DCG、メタバース……どれも当時は未知のコンテンツゆえ、社内では異端扱いでした。でも今思えば、未来につながるカードをたくさん手にできたと思います」
そしてCM制作会社でもうひとつ、今につながっている学びがあると言います。
「さまざまな案件をこなすなか、課題解決のためには必ずしもテレビCMである必要はないと気づいたんです。あるときはイベントでもいいし、あるときはアニメでもいい。クロスオーバーな仕事のやり方というか、手段は何でもいいという思考はここで養われましたね」
匿名でゼロから始めた情報発信
2000年代後半からSNSが広がり始めると、広告の企画提案でTwitterやFacebook、ブログなどのデジタルマーケティングを絡めたものを求められるように。ところが当時、SNSの需要があるにも関わらず、業界内では情報漏洩を恐れてSNSが禁止されていたそう。
「SNSのプランを提案しておきながら、SNSをやっていないなんて、提案相手に対し不誠実なんじゃないかと。なので、2008年に匿名でブログを立ち上げてみたんです。実名で映像や広告のことを書けば、僕を知って見てくれる人がいるのはわかっていましたが、それでは意味がない。
そうではなくて、別ジャンルのマニアの側面だけ切り取った別人格がゼロから発信したら、どういう人たちが集まって、どういうコミュニティができて、どういうふうに盛り上がっていくのか、というのを知りたかったんですよね。会社や自分の実生活から切り離した社会実験を、バーチャルな世界でやってみようという試みでした」
「カレー細胞」の誕生
趣味が多く、さまざまなジャンルを深掘りしている松 宏彰さんがネタに困ることはありません。
「映画も1日3本観るほどですし、は虫類や熱帯魚などの珍しい生き物も大好き。妖怪は水木しげる先生といっしょにお仕事したほど詳しいですし、カレーもよく食べ歩いている。どの分野もいくらでも書けるんですよね」
映画や妖怪は著作権の問題がネックになったため断念し、まずは生き物とカレーのブログをスタート。生き物は毎日アップするとなると撮影が大変だったことから、次第にカレーの投稿が増え「カレー細胞」が生まれました。
「カレーというコンテンツは特別でしたね。普通会えないような偉い人がしれっとネットワークにいたりして、インターネットという仮想世界では、社会のルールや社会的立場などを取っ払ったコミュニティや人間関係が生まれるのだと、カレーを通して実感できました」
『マツコの知らない世界』出演を機に、実名で活動を開始
こうして、カレー好きのあいだでは知る人ぞ知る存在になった松 宏彰さん。テレビ出演などのオファーも入り始めますが、まだ会社に所属していたため、個人発信を警戒する業界の人たちを刺激してはいけないと、しばらく匿名で活動していました。そんななか、転機が訪れたのは2019年。テレビ番組『マツコの知らない世界(※)』(TBS系列)の出演でした。
(※マツコの知らない世界……マツコ・デラックスさんが、さまざまなジャンルに情熱を燃やすスペシャリストとトークを繰り広げる人気バラエティ番組。松さんは2019年8月放送「ドライカレーの世界」の回に初登場)
「実名での出演を依頼されたこともありますが、『出過ぎた杭は打たれない』のでは、と思ったんですよね。実際テレビに出て有名になったら、それまで僕の活動に否定的だった人たちが何も言わなくなりましたね(笑)」
そこから堂々と実名を出し、活動の幅をさらに広げていきます。
カレーは国境も文化も軽々と超える唯一無二の食ジャンル
外食のカレーに目覚めたきっかけのお店
そんな松 宏彰さんとカレーとの出会いは高校時代に遡ります。
「もともと兵庫県神戸市出身で、高校から電車通学になりました。学校と駅との間に『独特のカレーと濃いコーヒー』をキャッチコピーにした『印度屋本店』というお店があって、そこのカレーとコーヒーにすっかりはまってしまったんですよね。
昭和の時代ですから、本格的なインドカレーというよりは、ブラックペッパーが効いた少しスパイシーなカレーライスといった趣でしたが、食後に出てくるすごく濃いコーヒーとよく合うんです。10杯分の値段で11杯のチケットがついているコーヒー回数券を買ったりして、ちょっと大人になった気分になりますよね。生まれて初めて自主的に常連になったお店です」
こうして足繁く店に通いながら、外食のカレーに目覚めたそう。
その後、大学で石川県金沢市へ。そこで出会ったのが、金沢カレーのパイオニアといわれるカレー店『チャンピオンカレー(※)』。毎日のように通いながら、めくるめくスパイスの世界に魅了されていきます。
(※チャンピオンカレー……1961年に石川県金沢市で創業したカレー店。旧店名『ターバンカレー』。ドロッとした質感の濃厚なカレーソース、キャベツ、ソースがかかったカツが特徴のメニュー「Lカツカレー」は、金沢カレーと呼ばれるスタイルの元祖となる)
「高校時代の体験は原体験なので、僕はやっぱりブラックペッパーのきいたカレーが好きですし、カレーを食べたあとに濃いコーヒーを飲むのが好きなんです。スパイスとコーヒーは、僕の故郷である神戸のアイコンでもあるんですよね。日本で最初にコーヒーが本格的に広まった地域のひとつは神戸ですし、日本でいちばん古いインド人コミュニティは神戸にあったりするんですよ」
4000軒以上食べ歩いて実感した、カレーというジャンルの懐の広さ
こうしてその後もおいしいカレーと出会うようになり、食べ歩くこと今やなんと4000軒以上! 松さんの発信を見ていると、正統派のカレーライスから本格的なインドカレー、趣向を凝らしたオリジナルカレーまで、ジャンルレスなのが印象的です。
「カレーってみんな好きだけれど、『カレーって何?』と言われると定義がないんですよね。僕は“カレーとは日本文化の中で培われた特定の特徴をもつ食べ物と、その周辺のカルチャー”としていて、文化的な背景なしには語れないと思っています。
そもそもカレーは、インド、スリランカらからイギリス、フランスに渡ったものが、明治時代の文明開化で西洋料理として日本に入り、それが日本の米食文化とミックスしたもの。さらに遡ると、大航海時代に欧米各国が中南米やインド、東南アジアを植民地にし、奴隷として連行された人々がそれぞれの地域のスパイス文化を伝えて……というように、カレーは異文化が混ざる歴史。
逆にいうと、異文化を入れても崩壊しない特徴があるんですよね。さまざまな文化がミックスしてできた食べ物ゆえ定義があやふやなので、どんな食のジャンルとも、何なら音楽やアートなどどんなカルチャーと組み合わせてもマッチする。寿司とヒップホップをコラボさせたら、違和感としてはおもしろいかもしれないけれど、しっくりはこないですよね」
たしかに、国境も文化も軽々と超える、カレーほど懐の広い食のジャンルはほかに思いつきません。曖昧だからこそどんな文化にもしっくりなじみ、曖昧だからこそみんな好き。主張が強いようでだれとでも合わせられる、何だかカレーがものすごく尊い存在に思えてきました。
さまざまな活動を通して日本のカレーカルチャーを発信
各地でカレーのイベントを開催
現在は99%がカレー関係の仕事という松 宏彰さん。テレビやラジオの出演のほか、雑誌やウェブでの連載、イベントのプロデュース、レトルトカレーの開発など、活動は多岐に渡ります。
特に近年力を入れているのがイベント運営。2019年に東京・六本木で開催した音楽とカレーのイベント「GO! CURRY! GONE!」を皮切りに、毎年大小さまざまなイベントを仕掛けています。
「コロナ禍で飲食イベントができなかったとき、ある連載の記事で“お取り寄せ冷凍カレー”を紹介したら、東京の西武池袋本店さんからお声かけいただいたんです。初めは飲食フロアでお取り寄せカレーを売るという話だったのですが、それだと利益バランスが難しく、店側の負担を強いることにもなる。
そこで発想を変えて、婦人服売り場でカレーTシャツを販売したり、カレー好きのミュージシャンのライブを行ったり、イベント的に盛り上げることにしました。結果は大当たり。想像以上の集客があり、コロナ禍におけるイベントの形としてひとつのヒントとなりました」
この成功から、西武池袋本店でのイベントは定例化。年に2回の開催を続けながら、徐々に規模を拡大しています。
「2023年はゴールデンウィークに開催してものすごく盛り上がりました。次回はなんと12月27日~1月3日。年末年始という、一年で最も集客がある晴れの舞台をいただきました。
お正月っておせちやごちそうに疲れたころ、カレーが食べたくなったりしませんか? そんな気分にぴったりなイベントにしたいですね。音楽やお笑いのライブなどで、正月らしく華やかに盛り上げられればと思っているので、ぜひたくさんのかたに足を運んでいただけるとうれしいですね」
もうひとつ松 宏彰さん渾身のイベントが、2023年に続き、2024年8月にも開催予定の「JAPANESE CURRY FESTIVAL」です。東京・渋谷のいたるところで、全国のカレーの名店が期間限定で営業し、渋谷に店を構える店舗は限定メニューを提供。期間中は、カレーを愛するアーティストや著名人を始め、カレーに関わる食品会社の専門家が登壇するトークショーなども予定されています。
日本人はカレーを日本のものと思っていない
「今、海外から日本のカレーが熱視線を浴びているのに、日本のカレー文化がまとまった形できちんと世界に発信されていないのがもったいないと感じているんです。先日のオリンピックでも、日本食といったら寿司、天ぷら、ラーメンばかり。
なぜ、カレーというコンテンツが無視されるのか。そもそも日本人はカレーを日本のものと思っていないんですよね。カレーはインドがルーツではあるけれど、みなさんが好きなカレーは日本のものだ、ということを伝えていきたいんです」
もとは日本のものでも、海外で評価されたことをきっかけに国内で改めて評価されるようになった、という事例は少なくありません。例えば、アニメはかつて、日本では「子どもの見るもの」「オタクの文化」という認識でしたが、今は世界的にクールなコンテンツとして市民権を得ています。同様にカレーでも逆輸入的なアプローチが有効なのではないかと、松 宏彰さんは語ります。
「日本のカレーはとても多様性があってアイディアフル。ほかの国のカレーとは完全に一線を画すものです。そんな日本のカレー業界全体を盛り上げられるよう、あえて意識的にフラットで中立な立場を保っています。企業間や店舗間の壁を超えて、カレーに携わる企業や人たちと手をとりながら大きな力にしていきたいですね」
広告のプロならではのセンスが光る「ポケットカレー」開発秘話
レトルトカレー開発に話題が移ると、おもむろにポケットから何かを差し出す松 宏彰さん。よく見るとそれは手のひらサイズのコンパクトなレトルトカレー!
松さんが開発した、その名も「ポケットカレー」です。レトルトカレーといえば単行本サイズのイメージが強いだけに、縦12.5cm×横8cmのこの形状はとても新鮮。温め不要でそのまま食べられるというのも、大人用のレトルトカレーではありそうでなかったポイントです。
「開発の際に、雑談しながらパウチを半分にしたらスマホサイズになって、これはいいな、とはじめはただの思いつきです。また、自分がズボラで、仕事から帰ってすぐにそのまま食べられるカレーが単純に欲しかったというのが、温め不要にした最初の理由。
ただ、僕は広告業界の経験で、企画にいろんな理屈をつける癖があるので、そこに防災の要素を見出しました。阪神淡路大震災で実家が被災したり、NHKで震災のプロジェクトに関わった際に感じたのは、災害時は水がとても貴重だということ。調理に水も火も使わない食品は重宝するはずです。また、バッグにぽんと入れられるので災害備蓄にも向いています」
ネーミングやキャッチコピーにも、広告のプロならではのセンスが光ります。
「僕の流儀として、最も美しいコピーは『当たり前の言葉を組み合わせているのにまだない言葉』なんですよね。ポケットカレーを検索したら、シンプルすぎるのかまだ誰も使っていなかったんです。さらに『ポケットサイズワンコイン』という触れ込みにして、気軽に手に取りやすいようにしました。ラベルも簡単に変えられるのでノベルティにもおすすめです」
そんな工夫が功を奏し、2021年2月に販売された第1弾「晩酌カレー」は発売1ヶ月で800個あまりを売り上げる好スタート。第2弾は朝に時間がない人のための「朝ポケカレー」として、また、第3弾は渋谷の防災フェスに合わせた渋谷の名物カレー「TOKYO STREET CURRY」として販売し、毎回話題を呼んでいます。
あらゆる立場の人がどう感じるかを意識した前向きな発信を
カレー細胞流・発信のポイントは「ディスらないこと」
クリエイター
大手CM制作会社にてディレクター・広告プランナー・執行役員を務めたのち、2021年に独立。その一方で、日本全国からアジア・アフリカ・南米に至る4000軒以上のカレー店を渡り歩き、「カレー細胞」の名でカレーカルチャーの振興に向けた活動を行う。
フリーライター。『地球の歩き方』や『ことりっぷ』などの旅行誌を中心に、紙・ウェブ問わずさまざまな媒体の企画や取材、編集、執筆を手がける。あるときはインド仕込みのヨガインストラクター、東京 下北沢にある場末酒場のバーテンダーなど、別の姿も。