兵庫県神戸市にある『神戸アジアン食堂バルSALA(サラ)』はハーブやスパイスをふんだんに使った、本場のアジアン料理が楽しめるお店です。ここで働くシェフは、日本社会で孤立していた滞日アジア人女性。いきいきと輝きながら、今日も厨房で腕を振るっています。なぜ彼女たちはこの店で働くことになったのか。それを知るには、まず店長・奥尚子(おく なおこ)さんの大学時代まで話は遡ります。
目次
- 雇用を生む場として飲食店を
- 風向きを変えたクラウドファンディング
- 『神戸アジアン食堂バルSALA』を支える軸を増やす
- 飲食事業として評価を得たい
雇用を生む場として飲食店を
兵庫県神戸市元町にある『神戸アジアン食堂バルSALA(サラ)』。元町商店街と南京町をつなぐ細い路地にあります。店内はターコイズブルーの壁に、ベトナムランタンやアジア雑貨が飾りつけられた素敵な雰囲気。
厨房で料理の腕を振るっているのは、タイや台湾などさまざまな国出身の“お母さん”たち。多国籍のお母さんたちが作る、アジア各国の家庭料理のような、素朴で温かな味わいが人気です。
味はもちろんのこと、このお店が掲げるコンセプトに共感し、足を運ぶかたも多いと聞きます。『神戸アジアン食堂バルSALA』が目指すのは、“Empowerment of all people(エンパワーメント オブ オール ピープル)”。
エンパワーメントとは、自分の価値を認めて個人の力をつけて夢に向かい、自分自身の生活や環境をよりよい方向へコントロールする力のことです。
※メニューは2024年10月現在の情報です
大学時代の学び
『神戸アジアン食堂バルSALA』を作ったのは、店長・奥尚子(おく なおこ)さん。関西学院大学 社会福祉学部 社会起業学科の卒業生です。大学在学中は、国内外問わずに社会の課題を解決する力を身につけようと、さまざまな社会問題を学んだそう。
高校卒業まで剣道一筋だった奥尚子さんにとっては、大学で学ぶ社会問題はどれも初めて知ることが多く、大学の講義だけでは理解できないことばかり。悩んだ末、「社会問題について近しい人から直接話を聞きたい」と大学教授に相談。大学教授から、さまざまな団体へつないでもらうことに。
路上生活者のかたといっしょに、路上で『THE BIG ISSUE(ビッグイシュー※)』を販売したり、炊き出しに参加したりと、大学外での学びの時間がどんどん増えていったそう。
※『THE BIG ISSUE』……イギリス発祥のストリート新聞。路上生活者の社会的自立を応援する『ビッグイシュー日本版』は、販売価格450円のうち、230円が路上販売者の収入に(価格は2024年10月現在のもの)
そうした活動のなか、奥尚子さんが出会ったのは、日本人男性と国際結婚して日本で暮らし始めたものの、言葉や文化の壁で苦しむ女性。働くことはもちろん、外部とのコミュニケーションもままならない、社会から孤立してしまった“お母さん”たちでした。
「滞日アジア人女性が孤立していることって、社会問題でもなんでもなくて。言ってしまえば、ただ見過ごされているだけ。問題にすらならず、見過ごされていることがわかって、何とかしたいと思ったんです」
と当時を振り返る奥尚子さん。それからは大学の講義そっちのけで、お母さんたちが集まるNGO(※)団体に通いつづけたのだとか。
※NGO(Non-Governmental Organizations)……非営利組織。似た組織としてNPOもあるが、一般的に海外の課題に取り組む活動を行う団体を「NGO」、国内の課題に対して活動する団体を「NPO」と呼ぶ
「とにかく、孤立しているお母さんたちが集まるところに行って話をして、コミュニケーションを取りつづけました。そのうち、私のことをわが子みたいにかわいがってくれるようになって。
あるとき、お母さんたちが手料理を作って、私に持ってきてくれたことがありました。それが、すごくおいしくて! それに感動して、お母さんたちの料理の腕を活かして、お母さんたちが自信を持って働ける場所を作りたいと思いました」
この思いがきっかけとなり、活動を進めていくことになった奥尚子さん。現在はその活動が評価され、これまでさまざまな賞を受賞しています。
“Empowerment of all people”を目指して
奥尚子さんが目指したのは、前述のお母さんたちのように“働くことが困難な滞日アジア人女性”が、自分の強みで働ける雇用の場を作ること。そして、働くことをきっかけに、自立できる女性を増やし、今度はその女性たちが自立を手助けする側になること。
このサイクルを拡大させ、日本社会で生活できる滞日アジア人女性を増やすことが、飲食店『神戸アジアン食堂バルSALA』をオープンした目的だといいます。
『神戸アジアン食堂バルSALA』のビジョンは、“Empowerment of all people(エンパワーメント オブ オール ピープル)”。
※エンパワーメント……自分の価値を認め、個人の力をつけて夢に向かい、自分自身の生活や環境をよりよい方向へコントロールする力
「すべての人々がエンパワーメントされる。そんな世界を作りたい」。この思いを実現させるために、奥尚子さんは『神戸アジアン食堂バルSALA』の立ち上げを目指しはじめます。
ビジネスパートナーは父
困っているお母さんたちが活躍できる場を――。自分が思い描くものが見えた奥尚子さんですが、大学卒業後は、いったん一般企業へ就職します。その理由は?
「父に『安易にボランティアを商売にしてはいけない』と反対されたんです。私自身も、それに関してはいろいろと考えさせられる部分があって。お店をオープンすることを見据えながら、まずは経験とノウハウを積もうと。それで、株式会社リクルートライフスタイル(※)に就職しました。
担当業務は、飲食店を紹介するフリーペーパー『ホットペッパー』の企画営業。各店舗のオーナーさんや店長さんといっしょに、お店の状況や課題を整理し、課題解決に向けた企画を提案する、という仕事をしていました」
※株式会社リクルートライフスタイル……『じゃらん』や『ホットペッパーグルメ』、『ホットペッパービューティー』などのネット予約を通じた事業、およびサービスを行う。クライアントが本業に集中できるよう、「経営効率や業務効率を改善する」という顧客課題にも向き合う
同社を3年勤めたのち退職。いよいよ、お店のオープンに向けて動き出します。当初反対していた、父・奥智雄(おく ともお)さんの反応はどうだったのでしょうか。
「『お前、まだやりたいって言ってるんか』って呆れた感じでしたね(笑)」
当時は反対しつつも、現在は奥尚子さんのビジネスパートナーとして、『神戸アジアン食堂バルSALA』を経営中の父・智雄さん。なぜいっしょに経営することになったのか、経緯をお聞きしました。
「別に、父といっしょにやるつもりなかったんですよ(笑)。当時父は、30年間勤めた百貨店を早期退職して、『焼き鳥屋でもやろうかな』みたいな感じで。そんなときに、私が詐欺にあってしまって……。お金がなくなっちゃったんです。
もともと親交のあったかたから、『頭金を払えば、毎月の家賃はタダでいいから~』って、店舗を借りる話を持ちかけられて。『いいんですかー!?』と喜んで頭金を渡したら、それっきり一向に話が進まなくて。
だまされたと気づいて、揉めるに揉めたんですけど、とにかくお金は戻ってこない。もうどうしよう、となっていた私を、父が見るに見かねていっしょに経営を……という感じです」
「いま考えたら、家賃タダなんてうまい話、ありえないですよね(苦笑)。父には『お前はほんまにアホや』と言われました。そのうえで、『お前がずっと変わらない思いを持ってやってきたことは認める。俺はビジネスの経験がある。それなら、いっしょにやったほうがいいんじゃないか?』って」
だまされてお金も場所もなくなり、途方に暮れていた奥尚子さんに手を差し伸べてくれたのは、父・智雄さんでした。
「そのあと、父から一つ条件を出されて。『僕たちは親子だけど、そういう関係じゃなくて、ビジネスパートナーとしていっしょにやろう』ということでした。その言葉があったうえで『神戸アジアン食堂バルSALA』はオープンできたので、今でも“親子”ではなく、すごく意識して“ビジネスパートナー”として接しています。
……って、すごく意識はしてますけど、でもやっぱり、めっちゃしょうもないことで親子げんかすることはありますね(笑)」
「“ビジネスパートナー”というと、なんだか冷たい印象もありますよね。ただ、父と私のあいだには、一つ絶対的なものがあると思っていて。それは、信頼感。
父は私を絶対に裏切らないし、私も父を絶対に裏切らない。それって、やっぱり親子だからだと思うんです。父への信頼感は何にも代えがたいなと思います」
父・智雄さんの「親子ではなくビジネスパートナーとして」という言葉に娘へのリスペクトを感じ、また、「父は私を絶対に裏切らない」と言いきる奥尚子さんの父への信頼感。2人の関係性が垣間見れます。
ビジネスは背負うものがあってこそ
2016年、親子2人で株式会社カーサグローバルを設立。父・智雄さんが代表取締役に就任し、奥尚子さんが『神戸アジアン食堂バルSALA』の店長としてスタートします。
「SALA(サラ)」とは、タイ語で休憩所や小屋、家などの意味を持つ言葉。『神戸アジアン食堂バルSALA』に関わるすべての人が、リラックスしてほっとできる場所になれば、という思いを込めたそう。
……ところで、だまされてお金がなくなってしまったはず。お店の開業資金はどうやって工面したのでしょうか。
「私も父も、ビジネスをするうえで“自己資金を使う”という考えかたは、あまりしていなくて。国や銀行からお金を借りて、それを背負いながらやっていく、というのがまず共通認識としてありました。
現実問題としては、借りられる額が、私より父のほうが断然多くて(笑)。そこは甘えて、父にお金を借りてもらいましたね。『神戸アジアン食堂バルSALA』開店から3年間ぐらいは、経営がうまくいかなかったので、毎月赤字。結局、それを補填してくれたのは父でした」
風向きを変えたクラウドファンディング
クリエイター
兵庫県神戸市にある、本場のアジアン料理が楽しめる『神戸アジアン食堂バルSALA』店長。学生時代に、滞日アジア人女性の多国籍の“お母さん”たちと出会い、「すべての人がエンパワーメントされる世界を」と店舗オープンを決意。お母さんたちとお店に立ちながら、若い世代への講演活動も行う。
フリーライター。大阪在住。大学卒業後、株式会社オレンジページでアルバイトとして現場や料理を学んだのち、兵庫県・神戸の帽子ブランド「mature ha.」に就職。退職・出産を経て、ライターとして活動開始。好きか嫌いかはひとまず置いといて、とりあえずやってみるタイプ。今日も夕飯の献立を考えながら暮らしている。