
大阪府堺市にある「今野農園(いまののうえん)」は、代々この地で旬の野菜を作っている農家です。化学農薬使用数を慣行基準値の4分の1以下にし、植物本来の力で健康的に育てた野菜は安心・安全なだけでなく、うまみが強いのも特徴。現在この農園を営んでいるのは、高校教師から転職して就農した、4代目・今野裕光(いまの ひろみつ)さん。今野農園の取り組みや、農業に対する思いなどをお伺いしました。
目次
- 就農するまでの道のり
- 今野農園が行うさまざまな取り組み
- 規格外トマトを救え!『のむとまと』ができるまで
- これから就農する人たちへ
- 農家としてやりたいこととやるべきこと
就農するまでの道のり
大阪府堺市で代々農業を営む農家の息子として生まれた今野裕光(いまの ひろみつ)さん。

“いつかは農家に”という思いを胸に、高校は農業高校、大学は農学部へと進学。さらに大学院にも進み、農薬や肥料、土壌などさまざまな知識を学んでいきました。大学院卒業後に、すぐに農業の仕事を始めたのでしょうか。
将来を見据えながら選んだ職業は、“教師”
「小さいころからずっと、農業の仕事をしたいなとは思っていました。ただそれと同時に、農業の仕事をするのは50歳過ぎとか、もっと経験を積んだ先の話やとも思っていたんです。なので大学院卒業後、すぐに就農しようとは考えていませんでした。
種苗メーカーで働きたくて就活をしていたんですが、なかなかうまく進まなくて……。そんなときに、高校時代の先生から『教師になったら、母校に戻ってきて教えてほしいな』なんて話をいただいたんです。就活と並行して教職の採用試験も進めていたので、その言葉をきっかけに教師の道へ進むことにしました。
教える科目は“農業”です。聞き馴染みのないかたもいるかもしれませんが、高等学校の教員免許で農業の科目があるんです。教職員採用試験に合格すれば、農業高校や農業科のある学校で教えることができます」

思っていたよりも早いタイミングでの就農
農業の先生として9年間教職に立ったのち、2020年に転職して今野農園に就農。当時はまだ30代半ばの今野裕光さんですが、「農業の仕事をするのは50歳過ぎてぐらい」とおしゃっていたように、農業の仕事を始めるのはもう少し先の予定でしたが……。
「ほんと、いろんなタイミングが重なった結果、就農を前倒した感じです。教師を辞めて農業の仕事に就きましたが、就農しようと思って教師を辞めたわけではないんです。
教師を辞めようと思った理由もいくつかあるんですが、一つは家族との時間をもっと大切にしたいなと思ったからです。教師をしていたときは、家で過ごす時間が少なく、家族との時間をなかなか取れなくて。早く家に帰れたとしても、家で仕事していることも多かったですね」

もう一つは、僕がもっと農業に触れていきたいと思ったからです。生徒たちが日々学んで成長していく姿を間近で見ていたら、僕自身がもっと専門的な知識やスキルを身につけていきたいと思うようになりました」
教師を辞めることを決意した今野裕光さんは、改めて種苗メーカーに就職しようと採用試験を受け、無事内定。しかし、「10年はここで働いてほしい」という企業側の思いに、
「父の年齢と引き継ぎ期間を考えると、10年は少しむずかしいなと思ったんです。それなら、もうこのタイミングで就農しようと。……思っていたよりも、だいぶ早くなりましたね」
学生時代から農業に関するさまざまな知識を学び、教師を経て、ついに農家として歩み始めた今野裕光さん。現在の今野農園の取り組みについて、お話をお伺いしていきます。
今野農園が行うさまざまな取り組み
今野農園では、栽培期間中の化学農薬の使用数を、大阪府の慣行基準値の4分の1以下に設定。さらに、2025年秋からは栽培期間中は化学農薬を完全不使用にする予定。この基準はどのような経緯で生まれたものなのでしょうか。


2025年秋から農薬完全不使用に
クリエイター
大阪府堺市で代々農業を営む今野農園の4代目。農業高校で農業を学びはじめ、大学ではトマト栽培の研究に没頭。大学院卒業後は農業高校の教師として勤務。2020年に転職して就農し、現在は化学農薬の完全不使用を目指して野菜づくりに取り組む。規格外トマトを使ったジュース『のむとまと』も開発。
フリーライター。大阪在住。大学卒業後、株式会社オレンジページでアルバイトとして現場や料理を学んだのち、兵庫県・神戸の帽子ブランド「mature ha.」に就職。退職・出産を経て、ライターとして活動開始。好きか嫌いかはひとまず置いといて、とりあえずやってみるタイプ。今日も夕飯の献立を考えながら暮らしている。