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お菓子教室を「一生の仕事」と決めた松本美佐さんのビジネス力

お菓子教室を「一生の仕事」と決めた松本美佐さんのビジネス力

松本 美佐, 土屋 朋代

お菓子教室「ミサリングファクトリー」主宰の松本美佐さん。講師でもあり、社会貢献につながる新しいビジネスやプロジェクトを生み出す起業家でもあります。自らが経験した苦労や困難を解決するために、多角的に事業を展開し、「自分が社会やコミュニティにどのように貢献できるか」を考えてきた松本さん。起業を検討する際の姿勢や決意などを伺いました。

目次

  • お菓子作りが好きな少女時代
  • 専門学校卒業後は他業種で活躍
  • 離婚を機に起業を決意
  • 「ミサリングファクトリー」に込めた思い
  • 社会貢献につながる新しいプロジェクトを次々と提案

お菓子作りが好きな少女時代

東京都大田区蒲田で生まれ、3歳で横浜市戸塚区(現在の泉区)に転居した松本美佐さん。お菓子作りとの出会いは今でも鮮明に覚えているのだとか。

「横浜ミサリングファクトリー」主宰の松本美佐さん
「ミサリングファクトリー」主宰の松本美佐さん

「小学4年生のとき、姉がクッキーを家で作ってくれたことがあったのですが、自分でお菓子が作れるということにとても驚きました。小学校低学年のころから、水に砂糖を溶かしてみるなど、お菓子作り“風”なことはしていましたが、クッキーのようなちゃんとしたお菓子が家で作れるなんて思ってもいなかったので、かなり衝撃的でしたね」

それから料理の本を買ってもらい、自分でいろいろなお菓子を作るように。とはいえ、子ども向けの料理本などなかった時代。大人向けの本を見て試行錯誤しながら独学で楽しんでいたそう。
「家族が喜んで食べてくれたことがとにかくうれしくて。うまくいかなかったときもみんな笑ってくれたので、楽しくお菓子作りを続けられました。これが私の原体験になっています」

「ミサリングファクトリー」で子どもたちが作ったクッキー

当時抱いた将来の夢は、やはり「お菓子屋さん」。ただ、細かい絵を描くことが得意だったことから染物の仕事や、英語が好きだったので翻訳の仕事にも興味があったり、好奇心旺盛だったそう。

「中学生のときにはロックに目覚め、夢中になって聴いていました。特にクイーンなどブリティッシュロックが大好きでしたね。そのおかげで英語が好きになり、中学の時は人生の中で一番勉強した時期だったと思います」

専門学校卒業後は他業種で活躍

地元の進学校を卒業後は、菓子職人になりたいと考え、服部栄養専門学校※に進みます。調理や製菓について意欲的に学びますが、松本美佐さんが選んだコースは1年制。すぐに就職を考えなくてはいけません。

※服部栄養専門学校……東京・新宿にある、調理師、栄養士、パティシエ(製菓)、ブランジェ(製パン)など様々な食のプロを目指せるコースがある専門学校

「お菓子屋さんになりたいと思っていましたが、当時のパテシェは男性が多く活躍する世界であり、ハードな仕事でもあることを専門学校の間に知ってしまい、自分には無理かなと。そんなとき、たまたま学校に貼り出されていた、ベルギーにある日本料理店の求人を目にしたんです。まだ10代だった私は、興味の赴くままにブリュッセルへ飛び、そこで2年間働くことになりました」

精力的で行動力もある松本美佐さん。料理店での実務経験を経て、帰国後は地元の製菓材料メーカーの商品企画部へ。

「新規部門に配属され、小さい会社だったので企画書作りから広報宣伝、営業、商品開発、展示会への出展など、本当にいろいろな業務を経験させてもらいましたね」

3年勤めたのち、化粧品関係の新会社設立の求人に応募し、転職することに。
「アイディアを出して企画を立てるのがとても楽しく、私の得意分野となりました」
さまざまな業界を渡り歩き、多様な経験を積んだ松本さん。仕事に楽しみを見出しつつも、結婚、出産を機に仕事を辞め、専業主婦となります。

離婚を機に起業を決意

その後、30代半ばで離婚。お子さんが5歳のころでした。
「これからは、子どもと自分が食べていけるだけのお金を自分で稼せごう、と強く思いました」

コンピューターが好きだった松本さんはひとまずIT系の会社で派遣社員として働きだしましたが、派遣はいつまでもできることではないと考え、一生できる仕事を模索し始めます。

「年齢的にも、子どもがいるということも、そしてキャリア的にも、当時の自分の条件を考えると、正社員での就職はむずかしく、行き詰まっていました。そんな折、たまたま近所に新しい地区センターがオープンし、調理室が空いていたので、『子ども向けのお菓子教室をやってみようかな』と、思うようになりました」

こうして、平日は派遣の仕事をしながら週末に子どものお菓子教室を開講。これがお菓子教室「ミサリングファクトリー」の根幹となるクラス、「キッズファクトリー」の始まりです。対象は小学生。始めは1クラスからスタートしましたが、最終的には3クラスに拡大するほど人気に。

「地区センターは営利目的の活動がNGなんです。なので、材料費のみをいただいてやっていました。それでも、『キッズファクトリー』で子どもを教える楽しさを知りましたね。お菓子作り以上のさまざまな経験が提供できることにやりがいを感じ、これを一生の仕事にしてみようと思いました」

そう決めると、専用のキッチンを持つために松本さんは動き出します。派遣の仕事で資金を貯めながら、起業スクールで本格的に起業の基礎を学んだうえで、製菓学校「イル・プルー・シュル・ラ・セー ヌ(代官山)」でプロの技術を身につけます。2年以上かけて起業にこぎつけました。

→イル・プルー・シュル・ラ・セー ヌ

「当時よくあった趣味の教室やサロン系の教室ではなく、学校のようなプロの技術を体系的に教えられる教室を作りたかったんです。これは差別化にもなりますよね。こういったプランニングには、かつて商品開発や企画、戦略の仕事をしていた経験が活かされたと思います」
こうして2007年、お菓子教室&食育コミュニティキッチンスタジオ「ミサリングファクトリー」がオープンしました。

子ども専門のお菓子教室「キッズファクトリー」でのクッキー作りの様子
「キッズファクトリー」は日本で初めての子ども専門のお菓子教室

「ミサリングファクトリー」に込めた思い

クリエイター

横浜の人気お菓子教室「ミサリングファクトリー」主宰。教えた生徒は3歳から90歳まで述べ15,000人を超える。故・佐藤初女さんの「料理はその人の生き方」という考えに深く共感し、お菓子作りを通じて、日々の生活を丁寧に生きることを伝えている。

フリーライター。『地球の歩き方』や『ことりっぷ』などの旅行誌を中心に、紙・ウェブ問わずさまざまな媒体の企画や取材、編集、執筆を手がける。あるときはインド仕込みのヨガインストラクター、東京 下北沢にある場末酒場のバーテンダーなど、別の姿も。

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