発酵食品の製造会社を営む、“発酵起業家”の阪田真臣さん。幼少期から悩まされていた体調不良が、30代を超えてから甘酒による腸活で改善。これをきっかけに、麹の魅力に引き込まれます。試行錯誤して自分が納得する甘酒の開発に勤しみ、2020年7月には株式会社麹王子を設立。いまでは、甘酒だけではなく、複数の発酵食品を手掛けます。「本物しか作りたくない、売りたくない」をモットーに突き進んできた熱意を伺いました。
目次
- まったく興味のなかった甘酒との衝撃的な出会い
- 会社員を辞めて個人事業主→株式会社麹王子設立
- 苦労を重ねて甘酒そのものをアイスクリームに!
まったく興味のなかった甘酒との衝撃的な出会い
ブドウ糖やアミノ酸、ビタミンなどの栄養成分が豊富に含まれていて、「飲む点滴」ともいわれる甘酒。その甘酒には
- 米麹を原料にした〈麹甘酒〉
- 酒粕を原料にした〈酒粕甘酒〉
の2つがありますが、株式会社麹王子CEO・阪田真臣さんが作っているのは〈麹甘酒〉。炊いたご飯に、米麹と水を混ぜて発酵させたものです。
「そもそも、甘酒は苦手だったんです……。子どものころ、神社で配られる甘酒を飲んだことがあって。そのときに、甘酒はおいしくないっていうイメージがついてしまって」
そんな阪田真臣さんが、なぜ甘酒で起業することになったのでしょうか?
食生活に無頓着だったサラリーマン時代
起業する前は、楽天株式会社の営業マンとして働いていた阪田真臣さん。仕事がら、外食や接待も多く、コンビニごはんやカップラーメン、栄養ドリンクを摂取する日々だったそう。
「会社員時代、特に食に気をつけていた人間ではなかったです。どこにでもいる、忙しいサラリーマンの食生活。でも、もともと体が丈夫ではなかったので、30代に入るとカップラーメンと栄養ドリンクの生活が、だんだんしんどくなってきて」
体の不調を強く感じ始めていた33歳のとき、友人から「発酵食品を一緒に学ばないか」、という誘いを受けたのが大きな転機となりました。
最初は「興味がない」といって断りましたが、何度も誘ってくれる友人。そのうちに、発酵食品が腸内環境を整える効果を持つことを知り、ちょうど体の変化も大きくなってきたタイミングだったので、ちょっと気になり始めたといいます。
「発酵食品で体の中からきれいにする、っていうのは確かにそうだなと。もともと東洋医学には興味を持っていて、流れ的に学ぶことに抵抗感がなくなっていたので、『じゃあ行ってみるよ』と」
じつは、小学生のころからアトピー性皮膚炎に、中学生のころから逆流性食道炎に悩まされていた阪田真臣さん。ステロイドや薬で症状を押さえていましたが、このころにはそれらを止めて、漢方を取り入れる治療法に変更していました。
誘ってくれた友人と参加したのは、発酵食品全般を学ぶスクールでした。それまで、阪田真臣さんが“発酵食品”としてイメージしていたのは、ぬか漬けと甘酒。そのどちらにも苦手意識を持っていましたが、スクールで出されたぬか漬けと甘酒が、とにかくおいしくてびっくりしたそう。
「それまでは、ぬか漬けはくさいし、甘酒はおいしくないっていうイメージだったんです。でも、スクールで食べたぬか漬けは、うまみが凝縮されていて、甘酒もちゃんと甘くておいしかったんですよね。ナニコレ?ナニコレ?っていう驚きから、発酵食品に対する興味が沸いてきたんです」
そのスクールは、「発酵職人」や「麹師」という資格を発行していて、初心者向けというよりプロ向けの授業内容。参加しているのは料理研究家や醤油メーカーに勤める人が多く、阪田真臣さんのような初心者はほとんどいませんでした。
そこでみっちり発酵食品について学んだ阪田真臣さんは、自分で甘酒を作る決意を固めます。2016年のころでした。当時は今ほど甘酒が注目される食品ではなかったぶん、「おいしい甘酒を作ったら目立てるかも」という動機もあり、甘酒を作り始めたそうです。
平日は会社員、週末にこつこつ甘酒作り
ここから、平日は会社員としての仕事をハードにこなし、土日を利用して自宅のキッチンで甘酒を試作する日々がスタート。
甘酒で商売をする!と心に決めていた阪田真臣さんは、おいしい甘酒の原料選びにとことんこだわりました。当初は、なんと米麹から手作りを試みます。
「でも、自分が作った米麹がおいしくなくて……。その米麹で作った甘酒も、もちろんおいしくなかったんです。そこで、米麹にも“おいしいもの”から“おいしくないもの”まで、差があるんじゃないかって思って。全国の米麹を扱っているみそ屋や蔵など、30社以上からありとあらゆる種類の米麹を仕入れて、米麹だけを食べ比べしたんです」
その中で1社だけ、阪田真臣さんの舌に合う、飛びぬけておいしい米麹を発見。また、水にもこだわり、酵素や菌が活発化するとされている「pH(ペーハー)9.5以上」の濾過された軟水のみを使用。その水と米麹を使った甘酒は、びっくりするぐらいおいしく仕上がったんだそう。
さながら研究者のような探求心と折れない心があったからこそ、成し遂げられた結果でした。
甘酒を作り始めてから体に現れた変化
発酵食品について学び、甘酒を試作して飲むようになってから、阪田真臣さんの体に大きな変化が表れたといいます。それは、長年悩まされてきたアトピー性皮膚炎と、逆流性食道炎の症状が治ったということ。
「甘酒作りが自分の体質改善につながったことで、ますます甘酒や発酵全般に没頭するスイッチが入った感じですね。自分の体質にとても合っていたんだと思います」
会社員を辞めて個人事業主→株式会社麹王子設立
甘酒作りを始めて半年くらい経過したころ、身内や友人に試食してもらい、「おいしい!」と太鼓判を押してもらえた阪田真臣さん。そして、1年が経ったころに会社を退職し、個人事業主として独立しました。
定収入のある会社員を辞め、収入が安定しない個人事業主としてスタートを切ることに不安はなかったのでしょうか?
「もともと、『安定した職業に就きたい』、『生涯補償されて生きていきたい』とは思っていませんでした。かといって、特にやりたいこともない、っていう人間だったんです。『自分から何かやるぞー!』みたいな気持ちも1mmもなくて。
でも、サラリーマン以外の選択肢はないのに、そのサラリーマンの仕事をうまくこなせなかったんですよね。周りと同じことをしたり、自分が賛同できなかったり、興味のないことに対しては、モチベーションを引き出すことができなくて。
だから僕の場合は、会社員をやっているときのほうが、不安が大きかったんですよ。起業するのも怖いんですけど、自分がいいと思っているものを売りたいなって思っていて、タイミングよく発酵食品に出会った。
発酵食品を学んだときから体質改善に気をつけだして、アトピー性皮膚炎も逆流性食道炎も治って、ほかにも体の不調がよくなって。『いままでこんなに体が悪かったのか!』って実感するくらい、不調を治しきったときに、発酵食品と自分の原体験がひとつになったんですよね。自分でも体験したし、明らかに味がおいしいし、これは自信を持って勧めることができる、これは売れる、と。
このときには、もう起業する怖さとかなくて、『いかにサラリーマンを辞めるか』というところに意識が100%向いて、不安とかなかったですね。生きる道がそこしかなかった(笑)。奇跡ですね。発酵食品と出会ってなかったら、なにしてただろう? 不調を抱えたまま会社員を続けて、ずっと文句言いながら仕事してたと思います」
すべて一人で手作業で作る甘酒
甘酒は基本的にすべて一人で、自宅のキッチンで作ってきた阪田真臣さん。発酵の時間もかかるうえ、一度で大量に作れるわけではないため、寝る間を惜しんで1日3回、甘酒をこつこつと作り続けています。
「甘酒が完成するまでに、だいたい8時間前後かかります。早朝5時ごろに1回目の仕込みをして、午後3時ぐらいに完成。すぐに2回目を仕込んで、完成するのが夜中の0時。またすぐ3回目を仕込んで、翌朝に完成。
8時間放っておけばいいわけではなく、2~3時間に1回は撹拌して空気に触れさせる必要があるので、そうそう仮眠もできず……。ある意味、会社員時代より肉体的にはハードでした(笑)」
まずは地元のマルシェから販売をスタート
当時、甘酒をオンラインで販売している会社があまりなかったそう。そこで、阪田真臣さん自身でネットショップを作ることを考えましたが、まずは試しに、地元で開催されていたマルシェに出店してみることに。
長く売れない状況が続きましたが、マルシェに出店を続けて半年後。地元のテレビ番組で紹介されたことで、ついに多くの人の目に留まることになります。
「家の電話が1週間鳴りっぱなしで、ものすごい反響でした。僕の体質改善のエピソードも紹介されたので、『この人の甘酒はすごいんだろうな』って思ってもらえたのか、想像をはるかに超える数の注文が入りました」
SNSで思わぬチャンスをつかむ
クリエイター
某企業に新卒入社し、その後7回の転職を経験。某広告代理店を経て、楽天(株)に入社。2017年に退社・独立し、同年起業。甘酒嫌いだったのが、その魅力と効果に気づき、2020年7月に株式会社麹王子を設立。「あいすくりーむ革命」などの事業に加え、体質改善ワークショップやセミナー講師を行う。
編集・ライター。インテリア誌や生活情報誌の編集職を経て、40歳を過ぎてからフリーランスに。家事、収納、マネー、リノベーション、インテリア、料理など携わるジャンルは多岐に渡る。投げられた球はどんな変化球でもとりあえず打ち返すタイプ。