
20代で京都・祇園に『納豆創作料理 夏豆』を開業した夏見奈央子(なつみ なおこ)さん。開店直後にコロナ禍に見舞われ、厳しい状況を乗り越えて約4年半、オリジナルの納豆料理を提供してきました。出産を経て、現在お店は閉店(ひと休み)。マイペースで納豆料理研究家として活動を続けています。これまでの軌跡と、次のステップへの展望をうかがいました。
目次
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- 大嫌いだった納豆が、いつしか欠かせないものに
- 独学で納豆料理を極め、京都に出店
- コロナ禍のテレビ出演が転機になり、レシピ本を出版
- 感動の納豆料理を作るコツ
- 子育てと両立しながら、いつか新業態にチャレンジしたい
大嫌いだった納豆が、いつしか欠かせないものに
「とにかく納豆を愛しているんです! みんなにも愛してほしい。どうやったらこの子(納豆)たちをもっと広められるかな……という親心で活動しています」
と目を輝かせる夏見奈央子さんですが、意外にも子どものころは納豆が大嫌いだったそう。「置いてあるだけで、においもダメ。まったく食べられなかった」といいます。
毎日〈+1粒〉食べ続けて、納豆嫌いを克服
夏見奈央子さんが育ったのは、納豆消費量の都道府県ランキングでなんと最下位の和歌山県。
「私の母も、納豆はあまり好きではなかったみたいですが、栄養面を考えて『子どもには食べられるようになってほしい』という気持ちがあったようで。小学校低学年のころ、ご飯の上に1粒だけ、納豆をのせて出されたんです。最初は嫌で嫌で、ご飯の中に埋めて隠して、味がわからないようにして食べていました」
2日目は2粒、3日目は3粒……と毎日量を増やしていくシステムで半パックぐらいまできたとき、変化が起こりました。
「自分から『もっとのせて!』って言うようになって。気づけば納豆がないと生きていけないぐらいの“納豆中毒”になっていました(笑)。これには母もびっくり。それからはみそ汁に入れたり、焼きそばに入れたり、トッピングやしょうゆ感覚で食べるように。私にとって、納豆は万能調味料なんです」

食材としての納豆の可能性を自己流で模索
大学時代は英語を専攻し、1年間アメリカに留学。“納豆中毒”の夏見奈央子さんがどうしていたのかというと、日本からクール便で納豆を送ってもらっていたそう!
「現地の日本食スーパーにも納豆は売っていましたが、ラベルがはがれて賞味期限もわからないようなものが、300円くらいもするんです。送料を入れても日本から送ってもらったほうが安いし、安心だったので」
その納豆を、友達に「My Favorite food(大好物)」だと紹介しますが、受け入れられるはずがありません。
「全然食べてくれなくて。口に入れたとたんトイレに駆け込んだ子もいました(笑)。こんなにおいしいのに、なぜ伝わらないんだろう……と思いましたが、そういえば、私も昔はこんなふうに納豆が嫌いだったんですよね」
「納豆嫌いの人にどうやったら食べてもらえるだろう」と考えるようになったこの体験が、夏見奈央子さんを納豆料理の道へ導きました。

納豆を食材として生かせば食べてもらえるのではないかと考え、帰国後、完全に独学で納豆料理の研究を始めます。試行錯誤の末にたどり着いたのが、ひき肉を炒めて納豆と合わせた「納豆そぼろ」。ご飯にかけるのはもちろん、冷ややっこにかけても、葉野菜で巻いて食べてもおいしく、アレンジ自在です。
「納豆が嫌いな人にとっての“納豆の嫌な部分”をカバーできるので、そぼろならおいしく食べられるんじゃないかと思っています」
そして、いつか“納豆そぼろの専門店をやりたい”という目標ができました。
独学で納豆料理を極め、京都に出店
食品メーカーに就職し、飲食店を裏側から見る
とはいえ、大学卒業後にすぐ店を出すのは現実的ではありません。そこは冷静に判断し、まずは社会人としての経験を積み、資金を貯めることを目標に就職を決めた夏見奈央子さん。調味料などを扱う食品メーカーで営業職に就き、スーパーにメニュー提案をする担当になりました。
「納豆と直接は関係のないメーカーですが、自社商品のたれを使うメニュー提案で、食材として納豆を絡めた提案をよく出していましたね(笑)。
でも、飲食に携わりたい気持ちがあったので、飲食部門に異動願いを出し続け、最終的にそれがかなったんです。メーカーの立場からですが、飲食店の裏側を知ることができ、とても勉強になりました」
5年ほど勤めたあと、さまざまなタイミングが重なって退職を決意したとき、「自分の店を出すなら今だ」と判断。学生時代を過ごした京都、その中でも観光地に絞って、物件を探し始めました。
「留学中の経験から、納豆を通じて外国のかたにも日本の伝統食を届けたい、と思っていたので、インバウンドが多い京都がぴったりだな、と。台湾で臭豆腐(しゅうどうふ/豆腐で作られた発酵臭の強い郷土食)をちょっとだけ食べてみるような感覚で、日本に来た観光客のかたに、納豆を一口でも体験してもらえたらと思ったんです」
「ビビッときた」物件を見つけて契約したのは、物件を探し始めて半年後。夏見奈央子さんは今後の計画をしっかりと立てて、開店準備に入ります。まず始めたのは、納豆料理専門店での修行でした。
福岡の納豆料理専門店で1カ月働く
京都で過ごした大学時代に、夏見奈央子さんは飲食店の厨房のアルバイトで料理の腕を磨いていました。
「プロとして料理の道を目指せるレベルまで引き上げてもらったのは、そのアルバイトのおかげだと思っています。きちんとした料理を出す和食系の居酒屋で、包丁の使い方から、料理の基礎を叩き込まれました。怒られながら、みっちりと(笑)。そのおかげで、しっかり料理と向き合えるようになりました」
料理の基礎をある程度身につけていたとはいえ、その経験だけでひとりで飲食店を始めるのは無謀。そこで、福岡県にある納豆料理専門店の門を叩きました。現在も師と仰ぐかたのお店『博多フードパーク 納豆家 粘ランド』。1989年創業の日本初の納豆創作料理店で、店主が全国3000種類の納豆を食べて厳選した納豆を使用し、和・洋・中・イタリアンの納豆アレンジを提供しています。
「師匠のお店は、以前に納豆料理の専門店を検索していたときに、唯一ヒットしたお店。食べに行くと、あまりのおいしさに衝撃が走りました! それ以来、ときどき福岡まで食べに行っていたんです。師匠とは、当時からよく納豆の話をしていて、すでに顔なじみだったので、思いきって『修行させてください』とお願いしました」

突然の申し出に驚かれ、最初はいい返事はもらえなかったものの、話すうちに夏見奈央子さんの納豆愛が伝わり、めでたく修行できることに。きっかけは、なかなかユニークなエピソードでした。
「私、納豆風呂に入ったことがあるんです! 納豆におぼれたいほど納豆が好きだと話していたら、友人が私の誕生日にサプライズで、ビニールプールいっぱいの業務用納豆を用意してくれたことがあって。そのときの写真を見せたら『おもしろいね!』って話になり、私の納豆愛を証明できました! 今でも師匠には、『あの写真を見せられたら断れない。(水戸黄門の)印籠かと思った』と言われています(笑)」

身一つで福岡に渡り、マンスリーマンションを借りて、1カ月の短期集中修行。すでに京都の物件の家賃も発生しているので、のんびりするわけにはいきません。昼も夜も仕込みに入り、業務用の納豆の扱い方などを学びました。

開業直後、飲食業界をコロナが襲う
クリエイター
調理師、フードコーディネーター、食生活アドバイザー。大学卒業後、エバラ食品工業でメニュー提案などの業務に携わる。その後、京都・祇園で『納豆創作料理 夏豆』を経営。メディアでも活躍し、現在も納豆料理の可能性を広げる活動を続ける。著書に『納豆がもっと好きになる #感動の納豆レシピ』(パイ インターナショナル)。
出版社勤務(飲食業界専門誌、育児誌、料理誌、女性誌など)を経て、フリーランスの編集者・ライターに。食や生活まわりのテーマを中心に、雑誌・書籍・WEBなどで執筆。人物インタビュー、市井の人への取材も大好き。お茶する時空間をこよなく愛する。