料理を海外で学び、アラブ地域と向き合い続ける理由
アラブ料理研究家・小松あきさん
目次
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- 料理を仕事にする、その前に「外に出たい」があった
- ロンドンで気づいた「料理は文化の入口になる」という感覚
- 「日本にないなら、そこに行くしかない」──アラブ料理研究への転換
- 暮らさなければ見えない料理がある──シリアとエジプトでの研究生活
- 特定の地域と食を掘り下げて見えてくる世界
料理を仕事にすると聞くと、多くの人はレストランで働く姿や、自分の店を構える未来を思い浮かべませんか? でも料理と向き合う道は、それだけではないのです。アラブ料理・菓子研究家の小松あきさんは、シリアやエジプトに滞在し、現地で暮らしながら料理や菓子そしてそれらを取り巻く文化を観察し続けてきました。料理を「つくる技術」としてだけでなく、「暮らしや社会を読み解く入口」として捉え、特定の地域と長く、深く向き合う。その姿勢は料理の本質を教えてくれます。

料理を仕事にする、その前に「外に出たい」があった
小松さんが料理に興味をもったのは、小学校高学年の頃。きっかけをはっきり覚えているわけではありませんが、雑誌の付録についていたレシピでお菓子を作ったり、テレビの料理番組を見てまねをしたりと、食べること、作ることは身近な楽しみだったといいます。高校卒業後に進学したのは大阪の辻󠄀調理師専門学校。和洋中を一通り学べる調理師本科で、基礎から料理を学びました。
「入る前は、自分は料理が結構できるんじゃないかと思っていました。でも、実際にはものすごくセンスがある人、技術の吸収が早い人がたくさんいて、自分はそういうタイプではないとすぐにわかったんです」と小松さん。
その気づきは挫折というより、「世界の広さを知った」という感覚に近かったそう。料理の世界には、自分の想像をはるかに超える人材がいる。だからこそ、真正面から同じ土俵で勝負するよりも、自分なりの角度を探したい。そんな意識がこの頃から芽生え始めていました。

在学中に就職活動をするなかで学校を通じて知ったのが、イギリスのワークエクスペリエンス制度。その当時にあった、学校を卒業したばかりの若者が一定期間、現地で働くことができる海外版インターンのような制度です。
「海外に行きたいという気持ちはありました。高校生の頃、福引で当たったニューヨーク旅行に一人で参加したことがあって、そのときに、日本とはまったく違う景色やスケールに触れたのが強く印象に残っていたんです。とはいえ外国に接点のあるような人はだれもいない環境でした」
卒業後、小松さんは制度があるという理由だけで縁もゆかりもないロンドンの日本食レストランで働くことに。英語ができるわけでもなく、現場で働いた経験があるわけでもない。それでも、不安よりも「外に出たい」という強い衝動を支えてくれる働く場所と住む場所がある安心感のほうが大きかったという小松さん。力強く世界への一歩を踏み出します。
ロンドンで気づいた「料理は文化の入口になる」という感覚
ロンドンでの生活は、料理の技術以上に海外で「働く」「暮らす」ことそのものを学ぶ時間でした。忙しい日本食レストランでは、クオリティを保ちながらスピーディーに料理を出す段取り力が求められます。ピーク時には一人が頑張ればいいわけではなく、チーム全体で流れをつくらなければなりません。
「自分の仕事だけをやればいい、という感覚では回らないんですよね。自分の持ち場を守るだけでなく、全体がどう動いているかを見て動く必要がありました」
特に印象に残っているのは、正社員とアルバイトの役割の違いだったといいます。それまでに経験していたアルバイトのように自分ひとりが与えられた仕事をこなせばいいのではなく、周囲を見ながら次の動きを考え、指示を出す立場になる。その経験は多様な人が働く職場では、日本で働いていたとき以上に強く意識させられたものでした。

1年限定のワークエクスペリエンス制度を終えて一旦帰国するも、海外の面白さに魅了されて再渡英を決めた小松さん。2年目は語学学校に通いながら、寿司店での接客も経験します。厨房ではスリランカ人やコロンビア人など多国籍のスタッフが働いており、英語でのコミュニケーションが日常。発注ミスをしたときのフォロー、電話でのやりとり……なんでもないようなことも異国で、英語で行うのは大変な作業です。失敗を重ねながらも、「怖がらずに話す」度胸が実践で身についていきます。
また、日本人とそれ以外の国の人たちとでは、仕事において重視するポイントが違うことも実感したと小松さんはいいます。スピードを優先する人、クオリティを優先する人。そのバランス感覚は国や個人によって異なり、正解はひとつではありません。「自分は何を大切にして働きたいのか」を考えるようになったのも、この頃だったそう。

異国で働くという生活のなかで、もっとも小松さんに刺激を与えたのがロンドンという街。スパイスたっぷりのインド料理、チャイナタウンの飲茶、エッジウェアロードに並ぶレバノン料理店……。移民が多い街だからこそ、多様で本格的な食文化が共存する街なのです。料理は、その土地の文化や歴史に触れる入口になる。その感覚はこの頃から少しずつ形になっていきました。
「食べたことのないものに出会うたびに、こんな料理があるんだ!と驚きの連続でした。料理そのものとの出会いだけじゃなく、どういう人たちが、どういう暮らしの中で食べているのかがどんどん気になっていったんです」
「日本にないなら、そこに行くしかない」──アラブ料理研究への転換
ビザの関係でロンドンを後にし、帰国した小松さん。帰国後は地元で生活していくために料理の世界を離れて写真の仕事にも携わりました。地元広島から始まり、東京でもスタジオ撮影や観光写真の仕事を経験しましたが、どこかに抱えていた料理への想い、忘れられない料理を作る楽しさが、再び料理の世界へと小松さんを呼び戻します。東京でカジュアルレストランやイタリア料理店に勤務。イタリアンや洋食のすぐれた技術をもつ人たちと働くなかで、小松さんはふと立ち止まって考えました。「この先、自分は何を軸に料理と向き合っていくのか」と。人より優れたセンスなのか、はたまたひたすらな努力なのかと問う中でたどり着いたのが「日本で、まだ誰もやっていないことをやる」という答えでした。

それから半年ほどは、「まだ誰もやっていないこと」を探す日々。本屋に通い続けて料理書の棚を眺めては、和食、フレンチ、イタリアン、アジア料理と見ていくなかで、あることに小松さんは気づきます。アラブ菓子、アラブ料理の本がほとんど存在しなかったのです。急いで家に帰ってネットを検索しても、その情報はほとんどありません。誰かがやっていない領域を小松さんが見つけた瞬間でした。
そこから始まる小松さんの「アラブとはなにか」を問い、探す日々。初歩的で根源的なところから心を寄せていったアラブ世界。国内で数少ないアラブ料理の店などにいくも、それはどうしても日本というフィルターを通したアラブの料理だということに歯痒く思うなかで、本物の味を求めるほどに高まるのは現地への思いでした。
「興味を持った分野を表面的にではなく、きちんと知りたい。そのためには現地に行くしかない」

語学を学ぶことはその世界を開くことでもあり、物理的に語学学校などに籍をおくことでビザを取得し、滞在しやすくなります。アラビア語を学ぶことにした小松さんがまずは下見として訪れたのが、シリアでした。
初めて口にした現地シリアのアラブ料理は、ヨーグルトやレモンを多用し、酸味を生かした味つけが新鮮でした。料理学校があるわけでも、体系的に学べる料理教室のような環境が整っているわけでもありません。それでも、言語を学び、人とつながり、暮らしの中でだからこそ現地の食を知ることができる。小松さんは1週間の滞在で確信し、語学留学を目的にシリアへ滞在する決断をします。
暮らさなければ見えない料理がある──シリアとエジプトでの研究生活




最終的にエジプトには約7年滞在し、その間にモロッコ、チュニジア、ヨルダン、シリア、トルコ、レバノン、オマーンなど、アラブ諸国や周辺地域を巡りました。食べて、見て、感じる。住んだからこそ比較できるアラブの多様な視点が、深く広く小松さんのなかで育まれていきます。
特定の地域と食を掘り下げて見えてくる世界
2019年に帰国後、小松さんは料理教室や執筆、翻訳などを通じて、アラブの食文化を伝える活動を続けています。教室では、日本向けに無理にアレンジするのではなく、現地の味や背景をそのまま紹介することを大切にしてきました。2022年には、『はじめてのアラブごはん』を出版。日本で手に入る材料で作れるレシピでありながら、味は現地のものをできるだけ再現しています。
「日本人に合わせることが正解ではなく、まずはありのままを知ってもらって、そこからそれぞれが調整すればいいと思っています」

日本に戻ってからもアラブ料理の歴史をより深く理解するための学びの旅は続き、現在は大学の通信課程で史学を学んでいます。料理を作って終わりではなく、社会や宗教、制度と結びつけて捉える。その視点が、研究を続ける原動力にもなっているのだそう。
「料理の世界って、お店を持つことだけが道じゃないと思うんです。疑問をもって掘り下げていけば、新しい仕事の形も生まれますし、お店で働く場合でも、違う視点を持ち込めると思います」
「私が料理の世界で大事にしておきたいこと。それはおいしい、まずいだけじゃなくて、社会の様子や制度、背景などを知って食べること、興味を持つこと。まちがいなく、料理や食事は暮らしや社会のなかにあるものだから」と小松さん。

料理を海外で学ぶこと。特定の地域を研究し続けること。それは、すぐに結果が出る道ではありませんが、料理を通して世界の見方を確実に変えてくれます。小松さんの歩みは、仕事として、生涯をかけて料理と向き合う生き方の新たな可能性を示してくれているのです。
ガザ、パレスチナ、大きく揺れるアラブと世界情勢。このさなか、小松さんは14年ぶりにシリア・ダマスカスの地をたずねる旅に出ました。現地を歩き、ありのままを見ていきたいという小松さん。アラブの食を巡る小松さんの旅はこれからもずっとずっと続いてゆくのです。(2025年末取材時)
2026.06.05
クリエイター
アラブ料理・菓子研究家。辻調理師専門学校卒業後、ロンドンや東京のレストランで経験を積む。2008年よりシリア・ダマスカスに滞在し、家庭料理や伝統菓子を現地で学ぶ。2012年からはエジプトを拠点に中東各国を巡り、約45か国を訪問。アラブの食文化をライフワークとして研究している。2019年より東京を拠点に、料理教室、執筆、翻訳、イベントなど幅広く活動。著書に『はじめてのアラブごはん 手軽に作れるエキゾチックレシピ62』(イカロス出版)などがある。
出版社やwebメディアでの編集経験を経て独立。ビジネス、人文、料理、インテリア、家事、旅行、医療など幅広いジャンルの編集・執筆を行なっている。