千葉県八千代市でパクチー農家を営む立川あゆみさんは、元お笑い芸人、アパレルデザイナーなど多彩な職を経て、40代で就農。その後、農業だけに留まらず、生産者の視点からオリジナルの加工食品を製造し販売。ブランド「PAKUCI SISTERS(パクチーシスターズ)」を立ち上げ、6次産業化を実現します。今までにない商品を世に送り出す発想力と、ヒットを生むブランディング力、そして新たな農家のあり方について伺いました。
目次
- 農業を選んだきっかけ
- 40代からの就農を成功させるポイント
- ピンチを逆転してヒット商品を生む
- ブランディングの要は「おもしろさ」と「ワクワク感」
- 可能性しか感じない農業の未来
農業を選んだきっかけ
元お笑い芸人、アパレルデザイナー、フラワーアレンジメント教室の代表、飲食店店長など、バラエティに富んだ職歴の立川あゆみさんですが、もともとは千葉県八千代市の農家の娘。満を持して跡を継いだのかと思いきや、両親からは「農家は継がなくていい」といわれていたそうです。
「農家は天候に左右されて収入的に不安定な部分もあるし、肉体的にも大変だから、ということだと思います。私には妹と弟がいますが、みんな農家を継ぐ意志のないまま育ちました」
高校卒業後の進路として選んだのは、小さいころから憧れていたお笑い芸人。当時は、お笑い芸人になるために大阪に行くつもりだったとか。
「両親に反対されて、もうひとつの夢だった服飾系の道に進みました。アパレル会社で内定をもらったころ、こっそり友人とコンビを組んでお笑いのオーディションを受けたりしていたんです(笑)」
就職してからも会社に内緒で銀座7丁目劇場※の舞台に立ち、アパレルデザイナーと芸人の二刀流で、アグレッシブに活動していました。芸人人生は、結婚を期に終わりを迎えましたが、2人目の子どもが幼稚園に上がるころには、フラワーアレンジメントの教室を主宰。料理教室も開いていたそうです。
(※銀座7丁目劇場……東京都中央区銀座七丁目にあった、吉本興業株式会社が運営していた劇場。1999年に惜しまれつつ閉館)
「根っからもの作りが好きなんだと思います。料理も一度食べたものを再現することが得意で、これとこれを入れたらこういう味になる、というのがわかります。ものを作るときも、これをこうカットしたらこうなるとか、考えるのが好きなんです」
お子さんが小学5年生と小学2年生になったとき、立川さんは大きな別れを経験します。最愛のパートナーとの死別です。
「夫の死はものすごくつらかったです。あれから16年経ちますが、未だに涙することがあります。でもあの別れがなかったら、今の自分の強さはなかったとも思います」
その言葉どおり、女手ひとつで子どもを育て、手がかからなくなったころ、飲食店で働きながら、たったひとりで農業を始めることを決意します。
「最初はカフェを経営するつもりでしたが、飲食業界に関わっていくうちに、いかに素材が大切か気づきました。そのことを世の中に伝えたくて、生産者になってみようと思いました。その背景に、子どものときから食べていた採れたて野菜のおいしさと、それを当たり前として育ってきたことへの感謝の気持ちがあったのは間違いありません」
40代からの就農を成功させるポイント
農業を仕事にしたとき、選択したのはパクチーの生産でした。両親の仕事ぶりを間近に見てきたからこそ、リスクとリターンを考えました。
「パクチー農家になって、『パクチーが好きなんですね』とよくいわれます。じつは、嫌いではないですが、特に好きでもないんです(笑)。実家が少量多品目生産の農家だったので、育てる野菜ごとに機械を買うと損失になって、利益が薄くなることがわかっていました。だから自分が栽培するものは1種類にしようと考えていました。
実際、購入した機械は種まき機ぐらいだったので、負担は軽かったですね。なによりもパクチー生産者がまだまだ少ないので、そこが狙い目だと思ったんです。収穫するときに荷が重くならないというのも、女性には好都合でした」
実家の畑以外に、高齢を理由に耕作をやめてしまった近所の畑5ヶ所を借り、パクチー栽培をスタート。しかし、すぐに軌道にのったわけではありませんでした。
「最初は、横浜でパクチー栽培をしているかたをご紹介いただき、畑を見せてもらってやり方をお聞きしました。実家でも、小松菜やほうれん草といった葉もの野菜を栽培していたので、そのノウハウもうまく取り入れて、種まきや肥料、水やりのタイミング、ビニールかけをいつやるかなど、日々のなかでトライ&エラーを繰り返しました」
休耕地は土地が痩せてしまっていることもあり、耕作するのに苦労したこともあったそうです。
「新しく借りた畑でうまくパクチーが育たず、悔しくて泣いたこともありました。一所懸命耕して、肥料を入れて、2年かけて土地を再生したり、除草剤を使わないので雑草をひとつひとつ手で抜いたり、大変なことはいろいろあります。でも、最初に借りた小さな畑でパクチーが収穫できたとき、子どもが生まれたときみたいに『わー!』って感動したことを今も覚えています。それが今でも原動力になっていますね」
そこからは通年栽培できるパクチーのメリットを活かし、生産体制を整えていきました。しかし、順調に市場に出荷できるようになったとき、また別の農業のむずしさに向き合うことになります。
ピンチを逆転してヒット商品を生む
「出荷物が市場にたくさんあれば当然価格が下がってしまいますし、規格外となると生産物として価値がなくなってしまいます。丹精込めて育てたものが、こんなにたくさん規格外になってしまうなんて、自分で農業をするまで知りませんでした。規格外商品は、品質や味は変わらないのに廃棄せざるを得ない。じゃあ、捨てずに活かす商品を作ろうということで、6次産業化※に踏み出しました」
(※6次産業……農林漁業者〈1次産業〉が、農産物などがもともと持っている価値をさらに高め、食品加工〈2次産業〉、流通・販売〈3次産業〉にも業務展開している経営状態。6次産業の「6」は、本来の1次産業だけでなく、2次産業、3次産業を取り込むことから、「1×2×3」のかけ算の「6」を意味する)
「そのときに考えたのは、どう付加価値を付けるか。圧倒的な知名度を持つ大手メーカーと同じ棚に並んだとき、ありきたりのものでは勝てません。だから今までなかった、パクチーのペーストを作ってみようと思いました。うちなら、採れたての新鮮なパクチーをふんだんに使うことができる。そこも最大限活かそうと、当時働いていた店のシェフといっしょに10パターンぐらい試作しました。お客さまも巻き込んで、何人にも試食してもらい、リサーチを重ねました。
非加熱でパクチーをペースト状にして、パルミジャーノ・レッジャーノやローストピーナッツなどを加えたものは評判が高く、“パクチーが苦手な人でもおいしく”というコンセプト通りのものが完成しました。これがのちに看板商品となる「パクチーペースト Basic」です。そのあと、チーズを抜いてパクチーの味わいをより強くした「パクチーペースト Cheeseless」が生まれました。
「どちらもクラウドファンディングで資金を集め、商品化することができました。当社の初期商品として6年前から販売していますが、いまだに人気商品になっています」
今までになかった商品ということで、百貨店やセレクトショップでの催事や出店依頼が、向こうからやってくるようになります。通販サイトも立ち上げて、販路を確保し、着実にパクチーペーストのファンを増やしていきました。
立川あゆみさんのパクチ―は、一般的に販売されているパクチーよりひと回り小さめ。量より質を重視し、味や香りが一番いいタイミングで収穫しているから、葉がやわらかくて茎も甘みがあります。独自のおいしいパクチーをブランド化したほうがより強い商品になると考え、6次産業化とともに「PAKUCI SISTERS( パクチーシスターズ) 」というブランドを立ち上げました。ネーミングは、パクチーを通じて自分の姉妹のように商品ラインナップしていくイメージだそう。
生鮮のパクチーも、飲食店との直接取引が増え、商社ともタッグを組んで独自ルートで販売できるようになりました。
「今までの農家のやり方ではなく、自分で種の仕入れから売り先まで決めて、6次産業で付加価値をつけることで利益が上がるようになってきました」
順調に売上を伸ばしていたところ、コロナ禍により、飲食店の受注が激減してしまいます。
「飲食店の営業自粛や時短営業の影響で、収穫したパクチーを1日に100kg単位で廃棄せざるを得なくなってしまいました。それでも、飲食業界が復活したときに対応できるよう、種をまき続ける状況でした。つらくて悲しくて、パクチーをそのまま捨てたくない一心で、そのころはドライパクチーを大量に作っていました」
そのドライパクチーをどうするか考えたときに、パクチーと製菓の組み合わせを思いつきます。
「例えば、パクチーのパウンドケーキなんて、見たこともないですよね。アイスもつくりましたし、クッキーも5種類ぐらい作りました。クッキーは人気商品となってシリーズ化しました」
コロナ禍での対応策として設置した〈パクチー自動販売機〉も注目を集め、メディア露出も増えたそうです。採れたての新鮮なパクチーを時間を選ばずに購入できる自動販売機は、いまも日に何度も商品を補充するほどの販売力があります。
「振り返ると、苦しいことやつらいことは、じつは得難い経験だったと感じます。前進するきっかけになっていることが多いですね」
ブランディングの要は「おもしろさ」と「ワクワク感」
クリエイター
千葉県八千代市で株式会社nocaを設立し、パクチーを生産。農業だけに留まらず、「PAKUCI SISTERS(パクチーシスターズ)」のブランド名で、自らのパクチーを加工したパクチーペーストやパクチー餃子、パクチーカレーなどを商品化。6次産業化を図るとともに、新たな農業の可能性を広げている。
編集・ライター。情報系出版社を経てフリーランスに。衣食住全般からビジネス系まで幅広く取材・ライティングを行い、飲食店での取材は約500軒を数える。人が書いた文章を読むのも話を聞くのも大好物で、取材があれば前のり上等でどこへでも向かう。